「欅坂46、二期生の森田ひかるです。よろしくお願いします」
何度、この自己紹介をしただろう。あれから私は、欅坂46に配属されることが決まり、直向きにアイドル活動に励んでいた。
励んでいる、つもりだった。
決して、平坦な道でないことは、加入前からわかっていた。このグループに加入希望だったが、元々はエースの人とその他、みたいなチーム状況というのは知っていたから、険しいアイドル人生になることは目に見えていた。予感は的中して、加入してから一年は楽曲に参加することも出来ず、ライブも卒業生メンバーの穴埋め、もちろん二期生としては、同期と同じイベントをしたり、仲良くなったりとポジティブな側面も沢山あった。
でも、この活動を続けていると、未だにまだ過る時がある。上京先の玄関に立てかけてある傘を見るたびに思い出す。脳裏に焼き付いては離れない半分の記憶。
結局、握手会やライブで彼を見ることはなかった。連絡もあれから一切取っていない。
そういうことを意識していることもあってか、身動きの取り方がわからなくなる瞬間が場面場面であった。欅坂にもまともに貢献できず、やる気がないと揶揄されたり、上の空であることを指摘されたりと、私自身のグループにおける肩身も狭くなる一方だった。ライブでは出番も少ないし、任されたタスクをこなしては、また次の仕事に向かって。
私はここまで、彼の夢と自分の夢を重ねて、報いるために自分自身を突き動かしていた。決意や執念だけで前に進めるほど、私の道はなだらかではない。
もし、途中で諦めてしまうと、今までの努力が水泡に帰してしまう。だけど、彼への想いだけが、私の原動力となっていた。
でも、メンバーの存在はとても大きく、心の支えになることばかりで。特に同期の二期生は、初めてこんなに全てを許し合える人ができたと思えるぐらいには、信頼できる8人だった。
この8人の一生懸命さは、時に眩しく映ることもあった。荒んだ心を癒してくれるような、甘えた心をつついてくるかのような。
2020年の1月23日。私たちのグループ事情を大きく揺るがす出来事が起こる。それは絶対的センターの脱退と、主要メンバー二人の卒業だった。
その報を聞きつけたメディアは、世間に酷くこのチームを辱める文言を扱っていたらしい。ファンの間でも、欅坂は終わった。解散した方がいい。絆なんて存在してなかった。そう言い切られていることだってあったらしい。
2020年、6月某日。私たち欅坂46は、運営スタッフに呼び出され、突然の宣告が下された。
「えー、皆さんお疲れ様です。平手の脱退、それにグループ状況、人間関係や週刊誌事情、諸々含めまして、審議を重ねた結果。欅坂46は解散することになりました」
気安く言って退けたが、私たちにとっては信じ難い決断だった。
「10月に解散ライブをして、後に事務所に在籍し続け、アイドル活動や別の道での活動を続けたい方は、個人でディスカッションをして、考えて行くつもりです。とにかく、解散ライブに向けて、少しずつ準備をしていきましょう」
皆、感情を押し殺して固唾を飲み、聞き込んでいた。涙するメンバーもいた、落胆して肩を落とすメンバーもいた。私の心情は、一体なんと叫んでいるんだろう。
「ちょっと旧二期だけ、隣の部屋に集まれる?」
松田里奈がそう旧二期に言いかけると、小さい会議室のような部屋に呼び出された。
「みんな、全く整理がついていない状況やと思うけど、聞いて。確かに解散を言い渡されて、今からどう活動していったらいいかわからないと思う人ばっかやと思う。けど、これは逆にチャンスなんじゃないかって思うのね。これを機に、今まで見つからなかった自分自身の足りなかったこととか、何を失っていたのかとか、見つめ直すいい機会だと思うんだよね。だから、解散まで四ヶ月あるけどさ、上手に使って幅を広げない?私、このまま欅坂は死んだと言われ続けるのは悔しいよ?」
その松田の熱い言葉に合わせて、田村も続ける。
「うん。そうやな。私もちょっと、甘えとったというか。やるべきこととかもきちんと出来てへんかった気するし、ちゃんと追加のメンバーやけど、胸を張って欅坂の一員です!と言えるようなメンバーになれるよう、これから頑張っていきたいって思う」
各々が、それらしい見解を示してみせた。私はというと。「ごめん、今はわかんないから、また後日考えるね」の一言で終わらせてしまった。
それもそう、私はアイドルになってから、半ば自分の真実と向き合って来てしまったから、こうなってしまったことに理由がついてしまう。彼の夢の呪縛から逃れられないままでいた。
ひかるの夢が、俺の夢だから。そんな言葉一つに、自分の夢も重ねて、未練との決別ができていないアイドルが、そう活躍できるほど甘くはない。ある意味、こうなるべくしてなったのだと自覚している。
答えを探そう、自分自身を見つけ出そう。なんてする必要なんてなくて。もう見えている解答を突き詰める余裕すら私には一切なかった。ただ、過ぎゆく時間が惜しく、メンバーからともう少し長く居たいと思う日々が続くだけ。そんなある日のことだった。
2020年、8月21日。夜が更けて、街の明かりが消え始める時間のことだった。
小腹を空かせた私は、近くのコンビニで軽食を買おうとして夜道を歩いていた。
何かを思い出したかのように、空を見上げると、そこには青い月が薄らと浮かび上がっていた。どこか聞き覚えのあるような鈴の音、見覚えのあるような蒼い月灯り。頬の火照りを冷ますような風。そうだ。安らぎのよすがに身を預けたあの夜。
あのロマンティック過ぎた夜が、急に頭の中から引っ張り出された。
頭に激痛が走る、電流が駆け巡るような感覚、身の毛がよだつ、いても立ってもいられなくなりそうで。
頭を抱え込んだまま道なりを外れ、ネオンが切れてる寂れた裏通りで気持ちを落ち着かせる。
「はぁ…はぁ…」
激しく息切れするほど、急な出来事だった。松田が「解散までの間は、自分と見つめ合う時間にしよう」と言ったから、自分の中に飼っているごうという存在が、獣のように侵食しては情緒を狂わせていっている。自分のためじゃない、彼のために。そう思えば思うほど、メンバーには申し訳が立たなくなって、自分が憎くなる。だけどそう思わないと彼の声が私の頭から消えることはない。
「お嬢ちゃん、こんなところで何を?」
意識が朦朧とする中、私の隣に一人の魔道士のような長い服を着たお爺さんが立っていた。
「どうやら、この世界に苦しんでいるようだね。ちょっと面白い話があるから聞いていかないかい?」
普段なら、こんな怖い人について行くことはない。ましてや、いかにも見た目が怪しい人物だ、即座に断って逃げるように引く場面だろう。だけど私は、正常な処理ができていなかったのか、はたまたこんな胡散臭い「面白い話」というのが、どういうものなのかという悪質な好奇心が働いたのか、、
「はい、聞かせてください」
そう言い、ゆっくりとお爺さんの背中をついて行ってしまった。
「君は、時を渡りたいと思ったことはないかね?」
道中で、不意にそう尋ねられた。
「基本的には、我が道この旅だと思う人間なので、ないんですけど、最近は少し思うようになりました。過去に遡って、あの局面でこういう選択肢を取っていたらどうなっていたんだろうって」
「そんな君に、いい話がある」
お爺さんは、ニヤリと笑うと、次の言葉を続けた。
「タイムスリップが、できるのじゃ。もちろん、一回きりになるがな」
そんな話があるわけがない。頭の中ではそう思いながらも、私はあの時に「戻りたい」と、叶うならば…
「…本当ですか?」
「あぁ。この森を抜けた先にワシの研究室がある。少し未完成品が故に不安要素もあるが、あらかた上手くいくじゃろうて。もし、お嬢さんが望むのであれば、この機能を試してみようと思うのじゃが…」
耳を疑う話だった。このまま騙されて、薬とかを盛られたり、違法売春とかで私の人生は奈落に落ちて行くのだろうかとさえ思う。ただ今は、もしどうにかなる手段があるとするならば、二期生のみんなと、欅坂46を救えるというなら、私は。
「私の望む時まで、巻き戻ることができますか?」
「それは難しいやも知らんが、上手くいけば大丈夫じゃろうな。しかし、時を渡る上で気をつけねばならぬ点が少々多くてな。まずは、先ほども言ったように未完成だ。とてもじゃないが、思い描くその時代に巻き戻れるかも保障はできん。あと、持っていけるのは基本的に自分の身体のみだ。もしかしたら、手に持っている荷物も運べるかもしれんが、期待できんだろう。そして何よりも、この未来という運命を、大きく変えられるかは君次第だ。今よりもどん底の世界が待っているかもわからんからな。そして何より気をつけるべき点は、今の記憶が全て無くなる可能性があるということじゃ。時は戻るが、自分の記憶はなくなり、遡った期間で育まれた思い出が無に帰るかもしれん。そうなると、その時の自分が分岐点であるとも気づかず、同じ道を辿るかもわからん。それでもいいというのなら、君に力を貸そう」
もしも、それが事実なら。本当なら。
「わかりました。少し考える時間が欲しいです」
「うむ、よかろう。三日後に考えをまとめて、今日と同じ時間に寂れた裏通りにまた来たまえ」
「あ、あの!それって、一人でしか戻れませんか?」
「そうなるだろうな。では、三日後にまた…」
お爺さんは、ゆらゆらと霧の森へと向かい、姿を消した。
その時渡りは、時間を巻き戻して収束するのか、全くのパラレルワールドになるのかは、私にはわからない。前者だとするなら、可能性に懸けたい。
このまま黙って、一人で勝手に時を渡ろうとは思わなかった。次の日、私は同期の8人を自分の部屋に集めて、うち明かそうと考えた。
集合時間になる数時間前、私は部屋の片隅で一人座り込み、少し考えことをしていた。
私は時折、こう思うことがある。「また会おう」だとか「ずっと一緒に」だとか、未来の約束というのは、すべきではないと。それは将来的に、己を縛り付ける鎖になってしまうんじゃないかと。
彼の夢というのは、この私からは二度と離れない、切っても切り離せないもの。大好きで、大切だからこそ、剥がれなくなるこの感覚が、私をずっと苦しめている。
部屋のチャイムが鳴ると、同期がぞろぞろと部屋に押し入ってきた。8人とも、イマイチ浮かない表情で、ゆっくりと地べたに座る。
「ひかるが集めるなんて珍しいね、今日はどうしたの?」
松田が少し笑みを浮かべながら、私にそう聞いた。
「今日はね、ちょっと信じてもらえないかもだけど、言いたいことがあって呼んだの。
欅坂と、みんなを救うために過去に戻りたいって思うんだ。私」
まんまとこんな話を鵜呑みにするはずがない。私は、かい摘んで何があったかの事情を話す。
「私が精神的に追い込まれていた夜があってね、とある街中から外れた裏通りにいたの。そしたら、めちゃくちゃ怪しい人が近寄ってきてね、タイムスリップをしたくないか?って尋ねられたの。ちょうど、解散を言い渡されて、みんながこれからどうしようか考えているときに本当に申し訳ないんだけど、もしそれが本当だったら、未来を変えられるんじゃないかなって思って。だから、私は」
「そんなの絶対嘘だよ!騙されてるって!!」
山﨑が遮るように、大きな声で否定してきた。すると、井上も続けるように、
「そうだよ、何か悪い企みがあるんだよ。そもそも、そんなことあるわけないんだし、信じない方がいいよ」
皆が「嘘だろう」と一蹴してくる。それもそうだろう、未だに私も半信半疑なんだから。だけど、、
「でも私は、もしほんの僅かでも、欅坂が変われる可能性があるとするなら、それに懸けたいと思うの。現実が受け入れられないわけじゃない、今までして来たことが無駄とも思わない、だけど私は、このグループを死なせたくないから…!」
私の言葉を受けて、一拍置いた田村がそっと呟く。
「ほんまに、それが願いなん?他のこととか起因してないん?」
言葉が続かなかった。私の心は見透かされている。そんな私に、藤吉が優しい目を向け、
「ひかる、もし言えないこととかあるなら、無理にいう必要はないと思うけど、素直な想いを聞かせて欲しいな」
どこへ逃げたって、どこにも道がない。右も左も、塞がる壁。
私は、胸の奥の叫びを聞き、皆に伝える。
「うん。そうだね。ねぇ、教えて。みんな、、
私はアイドルになる前、大切な人と学校生活を共にしててね。その人が、私の夢を応援することが自分の夢だから。って言われてから、その言葉に縛り付けられてしまって。大切だからこそ、それを無に返したくないからこそ、私はその人のために、自分の夢と重ねながら、アイドル活動をしてきたの。ねぇ。どうしたら、私は大好きな人を救ってあげられる?欅坂に加入したあの日からずっと、私はあの人の夢を報いるためだけに活動してきた。全て他人のためだけに、彼の夢を叶えるためだけに坂を駆け上ってしまった。だけど、同期のみんなが温かく接してくれる程に、今していることが正解なのかがわからなくなってしまった」
その言葉を受け、関が私の心をそっと触れるかのように、
「もう、十分苦しんだよ。無理、しなくていいよ」
間髪入れずに、松平も続け、
「自分を許してあげればいいんじゃないと思うよ、私は」
涙が溢れ出そうだった。声を震わせながら、私は尋ねる。
「じゃあ……私は、誰のために………何のために、生きていけばいいかな…?」
武元が、諭すように口を開き、
「それを見つけるためなら、時渡りしてもいいと思う。ひかるの人生は、ひかるのためのものだよ」
嘘一つとない瞳を向け、松田が続ける。
「自分の、信念のために生きる。ひかるは、そういう人でしょ」
「私の…信念………」
本当に、許されるのだろうか?彼の想いを報いることだけのために生きてきた私に…
「うん、思うままにするべきだよ。だからその時渡りの選択肢、私は尊重するよ」
迷いがない、松田の眼に何度助けられただろう。ブレない芯を持った同期に、どれほどの愛を受けただろう。私の信念のため、私の人生のため。
みんなが私の手を握る。わかったよ。わかったんだ。
「私…………」
迷いなんて、もう無くなった。私は、私自身が正しいと思う行いをしたい。
それが、私に出来る贖罪だ。
「時を渡って………」
もう、彼の夢に縛られるのはやめた。私には私の成すべきことを……いや。
「欅坂46を、取り戻したい」
私には私の、命を懸けてでも成し遂げたい夢があるのだから。
8月24日、街灯が消え始める頃。私たち二期生9人は、ネオンが切れてる寂れた裏通りに来ていた。
「おやまた、随分と大人数で来たんですな」
振り返ると、怪しげなお爺さんが、前と同じ服装でやって来た。
「何?如何にも怪しいじゃん」
「てかあんな服、この世に存在するんw」
「めっちゃ不気味やし」
私たちは、お爺さんと少し距離を取りながら、森の中へ誘われていく。少し進むと、見た目さら地の広間のようなところに出てきた。
「ほれ、あそこから地下に降るぞ」
お爺さんが指を刺した先に、小さな窪みから下に降りる階段が見える。恐怖心を押し殺し、一歩ずつ降りていく。
出できたのは、如何にも近未来のような空間だった。数え切れないほどの配線とか、綺麗に噛み合って動き回る歯車とか、異質な液体を詰め込んだフラスコとか、非現実的な世界にたどり着いた気分だった。
「ほいで、時を渡りたい者は誰じゃ?」
私は、一歩だけ前に出て、か細く返事をした。
「ほう、以前説明は受けた通りだ。お友達の皆には、説明してあるのかね?」
「はい。覚悟の上で来ました」
「うむ。では、この小さな実験ポッドに入ってもらう。さすれば、こちら側の声も遠くなろう。気づけば、意識も失っておるはずじゃ。かける言葉があるんじゃったら、今のうちに済ましておくんじゃな」
みんなの方を振り返る。うん、ちゃんと映ってる。フォーカスの合った被写体が。
「ひかるちゃん!!」
松平が、カバンから何かを取り出そうと探ると、
「これ!みんな覚えてる?黒い羊の特典で、私たちが学校行ってタイムカプセル埋めたこと!」
みんなが埋めたカプセルを、松平が持ってきてくれていた。
「この世界が巻き戻って収束するとしたら、多分記憶なんてなくなると思うけど、ひかるちゃんはこれを持って時渡りして欲しいなって。思い出せる材料になればいいなって!」
「ありがとう、きっと思い出すよ」
つれない顔をして、藤吉が続ける。
「もし、そのカプセルがなくとも、私たちはきっと思い出すよ。だって、ほら。楽しかった…わけだし」
井上が藤吉を小馬鹿にするように、
「楽しかったってどないしたん、めっちゃ素直やけど夏鈴ちゃんwww」
「もうええから!」
少し笑い合って、田村が一つ提案をして来た。
「最後にみんなで輪にならへん?両手繋ぎ合って」
少し恥ずかしいと思いながらも、私たち9人は両手を繋ぎ、大きな輪になった。
「一斉に口を噤んで、みんなで目を瞑って黙ってみよ」
武元がそういうと、皆で一斉に目を閉じた。ただ、両手に伝わる温もりと、今まで欅坂として活動してきた思い出が、走馬灯のように頭に浮かぶ。
きっと、みんな、同じ気持ちだったんだ。
啜り泣く声が聞こえる、咽び泣き始める声すらも。
大好きなみんなと。
そっと目を開けると、一人一人が、私に思いの丈をぶつける。
「るんるんやったら大丈夫、また私を見つけて仲良くしてな!」
「同じ九州出身として、めっちゃ誇りに思っとった。絶対、このグループを救ってな」
「ほんま、ばり頑固で志高いひかるが、過去に戻りたいとか思わんもんやとおもてたからな。行くからには頼んだで」
「ひぃちゃんにしか出来へんことがある。絶対、夢叶えてな」
「欅坂を救うって約束、破ったら許さへんからな」
「ひかる、過去にいってもまた私を見つけ出してね。大好きだよ」
「二期生が9人で、私の名前見ても知ってる?とか聞かないでよ。それぐらい思い出す自信あるんだから!」
「ひかるに託すよ。そして、また坂を上ろうね。どんな道であっても」
背中をそっと押し出してくれるだけじゃなく、決意を抱かせてくれた同期。もう、一寸のブレもない。
私は実験ポッドの中にゆっくりと入り込む。みんなが寂しい顔をしているのもわかる。でも、もう振り返らない。
ありがとう、私にとっては、みんなが愛の救世主だったよ。
ゆっくりと身体を寝かせる。頭の中がボーッとする。何だか、力が入らない。私は、私は…
歯車の回転が加速する、少し地鳴りがして、実験室が揺れ出した。
「それじゃ、君の願うその時にまでな」
お爺さんは、実験ポッドの上に浮かぶオーブを真っ二つに叩き切った。
時空の狭間が揺れ動く、もう私には、何も。
松平から渡されたカプセルを片手に。
「ひかる!!!私たちはもう一回!この9人で、アイドルをするからね!!またひかると旅をするから!!」
「また会おうね!」
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「ひかる!今日は始業式でしょ、ぼけっとしてないで。大事なクラス分けなんじゃないの?」
「ううん、そんなに興味ない」
半分寝ぼけながら、母親にそっけない返答をしてしまった。私の名前は森田ひかる。多分、私のことを次のクラスで知ってる人はほとんどいない。
「そんなこと言わんで、しっかり楽しまないかんよ!」
母親はそう言いながら、玄関で立ち尽くす悲壮感に漂う私の背中をポンと押し出した。
「いってらっしゃい!」
「はーい」
春休みを終えて、どこか懐かしく感じる通学路を歩き始める。無駄に長いバス停までの砂利道、バスも数えるのが面倒なぐらい駅を通過してる。終電に着くと、ずらずらと同じ学校の生徒たちが希望に満ち溢れた顔で、坂道を上っている。この滑らかな上り坂を歩くと、いよいよ三ツ坂の校門。この門をくぐるのは、半年経った今でも慣れないはずなのに、どこか慣れている自分がいた。
桜が祝福するように咲き誇っている。あ、クラス替えの用紙が張り出されてる。確認しないと、、、
「お!!クラス一緒じゃん!!」
「うっわ!担任絶対あいつじゃん最悪ー」
私の名前はどこだろう?
「どけって、え!お前また好きな子と一緒じゃん!」
「あの人と分かれたよかった〜」
2年6組、私のことを知っている人はほぼいないって言ってたけど、私が知ってる生徒もほとんどいない。担任の菅井先生って誰だっけ、適当に優しくて、面倒を見るのが苦手そうな人だった気がする。というか、私がこの学校で知っていることって一体何なんだろう?
その次の日、目が覚めると、外では鳥が囀り、私の部屋では沢山のぬいぐるみが横たわっている。春休みの宿題をカバンに詰めた私は、制服に着替えて嫌がる本能を押し殺し、動きたくないと悲鳴を上げる身体を無理やり起こし、学校に向かった。
ホームルームでの席替え、菅井先生が小さな箱を取り出し、
「席替えはくじ引きで行います!私が持ってきたこの箱の中から一人ずつ...」
何だか胸騒ぎがしよる。不思議とここにいる自分に違和感を覚えとった。
福岡から来て慣れていないから?いや違う。
新たなクラスで環境が変わったから?いや違う。
担任だけが喋るこの教室の静けさが、まるで人混みの中で一人佇む喧騒の中にいるようで。
「それではクジを引いていってください!」
頭が割れそうになる、耳がキーンとする。何なの、何なのこれ…!
「はーい、みんな席ついてー!」
私は窓際から数えて、縦二列目の一番後ろ。もう一つ左だったら、端だったけど…
「えー雨降ってきたんだけど!!」
「今日はみんな、気をつけて帰るように!」
担任の無責任の声だけが鳴り響き、帰りの挨拶を終え、ぞろぞろと皆が帰っていく。
この騒つく感情の正体がわからない。私は、何を思いついたかカバンを取り出し、中身を確認した。すると、見覚えのないカプセルのようなものが入っていた。
「これって………!」
息を呑んだ。全ての記憶が不意に蘇る。私は、時を遡ったのだと気づいた。約束したんだ、欅坂46を救うのだと。
窓際の席を見ると、彼が帰りの支度をしていた。
私の、大好きだった人。
私は、自分の机にかかった手提げを忘れず肩にかけ、帰宅した。
今の私がいるのは、あなたがいてくれたから。だから、あなたは。ごうはずっと。
思い出の中で、じっとしていてね。
今、思い返すと、なんて事ない一日やったんやと思う。
それでも、その日が私のこれからを、、、
決定的に変えたんだ。
私は、坂道合同オーディションを本気で受けると親に伝えると、書類審査、二次審査を通過し、4日間に渡るShowroom審査も参加した。瞬く間に合格をすると、欅坂46の加入が決まり、全力で、自分の人生のために、信念のためにアイドル活動を続けた。同期は同じく9人、全く同じメンバーだけど、初対面の反応だったから、皆は記憶がない様子だった。それでも私は、きっといつかは気づく時が来ると信じ、歩み続けた。
お見立て会、おもてなし会、共和国2019、全国ツアー2019、東京ドーム、全てのことを妥協を許さず、ただ一生懸命に、ひたむきにこなした。
運命は変わると信じて、私は諦めずに欅坂に魂を捧げ続けた。
そして、2020年7月16日のライブで欅坂46から世間に衝撃的な発表があった。
「改名をして、新しいグループに生まれ変わる」と。
欅坂46としての、最後の日。ラストライブ二日目。
一期生さんは、一人ずつフォーカスの当てられた映像と共に。私たち二期生は、9人全員で映像をバックに円になるという演出があった。
もうわかっている。みんなのことも。
「dead line」披露後、私たち二期生のオーディション映像と共に、みんなで円になった。
手を繋いで、笑い合う。手を離して、後ろを振り向くと。
隣の夏鈴が、また手を差し伸べてきた。それはゆっくり、隣の人に、また隣の人に伝染し、後ろ向きの輪が出来上がっていた。夏鈴が、私に聞こえる声量でつぶやく。
「久しぶりだね」
もう、知っているよ。あの時のみんなだって。このラストライブに立って、手を繋いだら、きっと。
欅坂の運命を変えたのは、私だけじゃない。みんなが居たから。
世界は収束した、決してパラレルなんかじゃない。だって、あの時解散から、救おうと思ったみんながそこにいるから。
私は、彼との思い出をじっとさせ、欅坂と二期を救うことを心に決め、自分の信念のために生きることを選んだ。少し異質で、変わっていて。でもそれは、徐々に自信になっていた。
過去と未来を繋ぐ今、どう生きるか。
自分らしさが誇りに思える今だから、私たちはセンターステージに向かい、
ー10月のプールに飛び込んだ。
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「ねぇお父さん、ひかるの部屋にこんなカプセルあった?」
「知らんよ、中には何が入っとる?」
久しぶり。元気にしてる?
私?私は元気。世の中はちょっと変わったけど、うん。元気。
朝起きて、ご飯食べて、本読んだり、映画見たり、しばらくは会えてないけど、私はそんな感じ。
あ、そうそう。最近、新しいこと始めたんだ。うん、新しいこと。歌ったり、踊ったり。
世の中はちょっと変わったけど、でも。また、会いたいな。
手を繋いだり、抱き合ったり、たまに泣いたり、でも、笑ったりして。
これからさ、また、ちょっとずつかもだけど、変わっていくよ。
顔を上げて、一歩ずつ、一緒に歩いて行こう。
うん、決めた。きっと、絶対に会おう。
櫻坂を登った。その先で。
ーfin