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クソ小説の捌け口

小説 「森田ひかるの黙示録」 Ⅲ

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小説 「森田ひかるの黙示録」 Ⅲ

「皆さん、本日はお疲れ様でした。結果につきましては、後日ご連絡させていただく形になります」

Showroom審査は受けずに、最終審査で直接向き合うことにした。

やるべきこと、今できる限りのことはやり遂げた。歌もダンスも、トークも限界まで引っ張った。これは、私の闘いでもあるけど、彼との交わしていない勝手な約束のようなものへの弔い合戦みたいなもの。受かったら、晴れて私は子供の頃の憧れだったアイドルになれる。落ちたら、また堕落してつまらない学校生活に逆戻り。正直、どっちでも良かった。

帰る際、周りの子が話したり、仲良くご飯に行こうとしている人たちもいた。私はその喧騒を掻い潜り、一番に早く会場を出て、新幹線のチケットだけを握り、駅のホームに向かった。駅弁を買い、8号車の窓側の席に腰を据え、大きなため息を一つついた。

少しだけ、重荷が取れたような気がする。ここまで張り詰めていたから、頭の回転も良くない日が続いていたり、寝不足になってイラつくことも増えていたけど、一旦は審査が終わったから、胸騒ぎというか、冷静になれない焦燥感のようなものは無くなった。あとは、彼の言葉を飲み込むことができたのが大きかったかな。アイドルになったら、喜んでくれるだろうか。もしなれなかったら、落胆させてしまうのかな。

帰りの新幹線で、外の景色を眺めながら、読書感想文の題材、宿題の終わらせる日程を速やかに立てた。心に余裕ができているのか、はたまた。心の整理がついたというには、まだ時期尚早な気もする。じゃあなんで、私は今こんなにもいい意味で力が抜けているんだろう。

蝉の泣く声が聞こえる。ガンガンに照り付ける日差しが眩しい。窓から見える木漏れ日が心地良い。それは家に帰っても同じ。瞬く間に過ぎ去りゆく時間は、私の心情の移り変わりをも通り越して行くようで。

「ひかる、明日から二学期やね。勉強とか、用意とかちゃんとしとる?」

「うん、ばっちり」

私の名前は森田ひかる、高校二年生、特技は和太鼓、物静かで人見知りと思われがちだけど、仲良くなると懐く、よく笑う、そして夢は、、

アイドルになることと、彼の想いを報いることだ。




二学期の初日、私はまた同じ時間のバスに乗り、いつもの後ろの座席に腰をかけた。同じように彼も来るんだろう。

最早、懐かしく思える。この夏休みはずっと忙しくて、イマイチ休みだった感覚もない。少し俯いて考え込む。そっか、この世界はこんなに時が早く過ぎ去っていってたんだ。

「お、久しぶり」

ゆっくり顔を上げると、彼が前の席に座り込んで話しかけてきた。

「あ、久しぶり」

とは言っても、当然彼は何も変わっていないように見える。

この後、実はごうと話すことはなかった。席替えで遠くになってしまったし、なんか妙な距離感が生まれている気がする。変にアイドルになる、ならないを意識してしまってるのか、気を遣ってくれてるのかその話題に触れることもなく、かといって帰り道は一緒のバスだけど、時効の挨拶とか、明日以降の予定とかで言葉を交わす程度。こうなってしまうことなんて、あの観覧車に乗った時から薄ら予感はしていた。

この進む道は定めであり、宿命であるのか、若しくはそうなる運命だったのか。私は背負いに行ったようで、逃げていたんじゃないだろうか。

とある日の昼休み、彼に少しかけ合ってみようと、一緒に食堂でご飯をしようと誘った。

「基本は教室なのに、珍しいな。今日は何食べるん?」

「んー、とりあえず菓子パンでいいかな」

相手も気づいていると思う、この私は醸し出す儚い破片に。

「ねぇ、あのさ。最終審査終わったんだけど」

「あぁ、もう結果でたん?」

「いや、まだなんだけどね。ほら、いつかの時、覚えてる?私が言葉を詰まらせたあの時」

「教室で初めてオーディション受けるって伝えてくれた日のこと?なんとなく覚えとるけど」

「もしもだよ。いや、今はあの時よりも確率も可能性もあるから言うんだけど。本当にもしさ、私が合格したらさ」

察してよ、次の言葉ぐらい。

「合格したら?」

「ここから、離れることになるじゃん?」

「うん」

一緒に居られなくなるね。って、私が思ってるとも思わないか。

「応援とか、してくれるの?」

全然違う、こんな表面的で抽象的で思ってもない言葉。

「そりゃ、ひかるが目指してるものなんだし、俺もアイドル好きやからめっちゃ応援するで。アイドルになってからも、大きな夢に向かって努力するものなら、その夢も俺は応援したいな」

「良かった。ありがとう」

その後のご飯の味なんて覚えちゃいない。あのデートに行った日から、ぼやけて見える。あんなにフォーカスの合った被写体だったのに、もう輪郭すらままならないほど、彼の気持ちもわからぬまま、自分の気持ちにも嘘をついて生きているような気がして。

そこからは何も進展しないまま、帰宅すると玄関にに母親の姿があった。

「ひかる、届いてたよ。合否」

「え!どれ?」

リビングに誘われると、テーブルの上にある資料に、わかりやすく合格の二文字が綴られていた。

「おめでとう、ひかる。もう止めはしないから。やりたいようにやりなさい」

やりたいことも、したいことも、自分で処理できていないから頭に来てるっていうのに。受かってしまった。私は放棄する権利だってある。だけどこれは、夢への切符を手に入れたようなもの。私の手元には、将来を変えられるものが確かにある。決めなきゃ。

選ばなくちゃいけない、アイドルになるのか、彼と居たいのか。

考えれば考えるほど、ドツボにハマる。ダメだ、イラついてしまう。

運命の特異点を目の前にして、立ちすくんで動けない。手足縛られて、現実に放り出された感じ。

何が、起きた?今の数分前に。それすらも覚えてない。

衝撃的事象が目まぐるしく回る、金縛りにあったみたいで。



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枯葉が舞う、秋の訪れを感じる季節。教室で雪城と二人で補修を受けていた時のことだ。

「また、森田さんのこと考えてたんでしょ」

ボーッと、窓の景色を眺めている俺に向かって、雪城がそう言いかけてきた。

「外見て黄昏てるだけで、なんであの子のことをって?」

「最近、わかりやすいぐらい考えてるでしょ。なんかあったの?」

「いや、別になんもないんやけどな。ただ今は確かにあの子のこと考えてた」

「生田わっかりやすー。やっぱ好きなの?」

「いや、ほんまにそれはちゃうんよな」

「じゃあ別に躊躇うことないじゃん。たどたどしくなって、何が一番いい解答か考えて、なよなよしく接してるから相手にもバレちゃうんだよ。生田が思ってる最適解も、相手からしたら違うかもしれないわけじゃん。だから、相手の気持ちを汲み取ろうとして喋るよりも、もっとこう、素直に自分が思ってること言えばいいじゃん。女々しい計算高い男は嫌われるよー」

雪城に諭されるのも癪だな。まぁでも、確かにこいつのいう通り、相手の顔を伺って受け答えしてる節はあったかもな。かえってそれが、この妙な距離感にさせてしまうことになる一つの要因だった気もするし。別に仲が悪いとかそういうんじゃないんだけど。

「るっせーな。まぁそりゃそうだけど。じゃあ、自分でもまともに思ってることが整理できてないときはどうすればいい?」

雪城は口角を上げて答える。

「そんな逃げ台詞いいから、自分の気持ちに素直になる!それだけ!!」

自分の気持ちに素直になる、かぁ。

「あ!!今日保乃先輩と掛けあう予定なんだけど、来る?バレー部員と会う前に、ちょっと時間作ってもらうんだ」

「おう。ちょっと頼むわ」

「オッケー、じゃあそう伝えとくから、補習終わったら体育館前の右側通路まで来て」

そうと決まれば、すぐにでも補習を終わらせて体育館近くに向かった。正直、その田村さんって人とは一回しか話したことはないけど、思ったよりも親近感があった。動機のあやふやさというか、いやそれしかないんだけど。

体育館近くに向かうと、雪城と田村さんが話し込んでいるのが見える。

「あ、生田!こっちこっち!」

「あー!久しぶりです!生田さん!」

謎に歓迎ムードで迎え入れられた俺は、ゆっくりとその輪に入り込んだ。

「まぁそういうことやから、愛華は絶対レギュラー取って、三ツ坂を代表する選手になる思うから、努力を怠らず精進することやな。応援してんで!」

「はい!保乃先輩!」

「よし、愛華ちゃんは体育館戻って部員と練習しといて。ちょっとだけ生田さんと話してから戻るわな」

「了解です!!」

雪城が軽快にステップをしながら戻っていくと、その場に残ったのは田村さんと俺の二人になった。

「あの、田村さん。以前、ちょっとだけ夢の話をしたの覚えてますか?」

「うん。よく覚えてますよ。私がオーディションを受ける前の話ですよね。まだ夏になってなかった頃かと思います。もう、夜になると肌寒いと思う日が増え続ける時期になりましたね」

「ちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

「全然聞きますよ!」

本来、こういうことで他人を利用するのは外道な気はするが、なぜかこの日は思い切って聞いてしまった。

「田村さんは、叶えたい夢を必死で追いかけてるじゃないですか。周りからはなんて言うんだろ。こういうこと言われたいとか、こういうことされたいとか、そういう、友人とか家族とか、大切な人からどう思われたいかみたいなのって、あったりします?」

少し険しい顔に変わる田村さん。

「ちょっと、ちゃう気がします。それって、他人主導やと思いません?確かに、嘘でもかけてあげた方がいい言葉は世の中にはあると思いますけど、それって価値あるものやと思わないんです。質問に対しての解答は、人によって違うので一概に言えないですが、心の底から、私自身の夢を応援してくれる人、離れてほしくないと嘆く人、落ちてしまえと妬んでる人、どれもいいと思うんです。だから、どう思われたいかという明確な答えはありません。けど、私個人としては何を言うでもなく、その人の嬉しさ、苦しさ、悲しさ、感謝、尊敬、畏怖、共感、信頼、期待、いろんな感情のそばに居てくれる人は素敵やなって思います。それが嘘でなければ、受け止めたいなって思うんです。つまり、そうですね、、」

一拍置いて、物悲しい瞳を零しながら、

「同じ気持ちになって寄り添ってくれる人が、私は好きでした」

「同じ、気持ちかぁ」

「すいません、そんないいアドバイスできなくて。でも、結局は自分が思うままに生きるといいと思います!」

急に投げ込まれた、同じ思いで寄り添える人。同じ心を持ってあげられる人。俺は彼女にとっての何者でもないことはわかってる。寧ろ、何か干渉して助けてあげようとか、支えになってあげようとかも傲慢なのかもしれない。

「あ!生田さん、私からも一つだけ質問していいですか?」

思い出したかのように、目を見開いてこっちを見てくる。

「あ、いいですよ。こちらこそ本当にまともな返答できないと思いますけど」



「何かを切り捨てることと、何かを受け入れること。どっちが簡単なんだと思いますか?」



「えっ?」

「あぁごめんなさい!!生田さんに聞くことやなかったです!!それじゃ、そろそろ部員も待ってると思うので、このあたりで失礼します!」

「あぁいえいえ、わざわざありがとうございました!」

なんだったんだろう。彼女は一見ずっとニコニコしてて、退屈でもない幸せな毎日を過ごしてそうなのに、会話の節々で翳りのようなものが見え隠れする。まぁ当たり前か、人の人生なんて山あり谷ありだ。俺が考えるようなことでもない。

秋の香りが増す毎に、離れる季節の真ん中に一歩ずつ進んでいるような毎日。誰かを傷つけなければ生きられないほどに、自分を追い込まなければ死んでしまうほどに、皆は苦しみの淵に立って泣いている。

俺の命と人生も、俺のものだ。誰のためでもない、俺の信念のためにある。そうだと気づけたら。



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「ひかる!何か必要なもの先に言いなさいよ。出立前の休みは今日しかないんだからね」

「うん。あとあれ。かさばるけど好きな本だけ詰め込むね」

11月某日、私はアイドルになることを決め、親と折り合いをつけた。学校には事情は話してあって、続けることは厳しいと判断されて、退くことになった。親にはなんとか恩返しできるよう、とにかく必死に頑張ってみる。その一点張りで通した感じ。

「絶対飛行機のチケット忘れちゃいけんで!後、ほらほら充電器とか!」

「いやまだ二日あるけん、そんな急かさんで」

そう、明日は学校登校の最終日、次の日にはフライトと、かなりギリギリなスケジュールになってしまっていた。

担任には、私が居なくなってからクラスメイトに事情を話してほしいとわがままを言った。事情の方も、もちろんアイドルになるということは隠したままで。じゃないと、クラスメイトに後々聞かれるのも厄介だし。まぁでも、それぐらいの配慮は言わなくともしてくれてただろうけど。私は皆に別れの言葉を告げるのも拒否した。無理言ってお願いをしたけど、担任の菅井先生は愛想笑いを浮かべて快く許諾してくれた。

だけど、まだ彼にはアイドルになることを伝えていないままでいた。今日のこの時まで。

最後の登校日の朝。眩しすぎる太陽が、カーテンの裾から漏れている。朝起きて、制服に着替えて、朝ご飯を食べて、気だるそうに登校して。見慣れたこの光景が、もう最後になる。半年前の自分に、今の状況を言ったらどう思うんだろう。

いつものバス。いつもの座席。そして櫻坂前で乗車する彼。ちょっと合わない歩幅を数える私。

終わっちゃう、何も言わぬまま、しゃがみこんで動かぬまま、終わってしまう。

授業中も、休み時間も、お互い意識し合っていることはわかっているはずだ。視線を感じてもいるだろう。気配を感じ取ることすらも。

「はい、明日からは文化祭の用意もありますので、クラスで何をするかなど考えてきてくださいね!」

菅井先生がホームルームでそう言うと、帰りの挨拶をして、心の中で皆に別れを告げる。彼は掃除の当番だったけど、私は彼の帰りを待つことにした。

もう会うのは最後になる。うん、わかっとう。伝えなきゃ思っていないのと同じ。

校門から彼が出てくる姿が見える。偶然会ったかのように、私は彼に話しかける。

「あ、ごう。ちょっと先生に呼び出しされててさ。同じタイミングになったし、一緒に帰らない?」

「あぁいいよ全然」

何度、隣で歩いてきただろう。何度、私を地獄の底から救い出してくれただろう。
ごうが、私の目の前に現れた日から、何もかもが違く見えたんだ。朝も、光も、涙も、何もかも、あなたが輝きをくれたんだ。

抑えきれない、想いをこの声に乗せて。

「ねぇ、ずっと前に一緒に行った公園あったじゃん」

彼が後ろで歩く私に振り返る。迷いなく、私は誘った。

「今日、寄っちゃいけないかな?」

何かを悟るような微笑みを返してきた彼は、

「ええで、久しぶりに行こか」

いつもの交差点の信号を渡るところを横断せず、道外れの住宅街の方に向かう。覚えとるよ、全部。あの日に見た景色も、これまでの思い出も。全部覚えとうよ。

「うっわ、なんか変に懐いな。この前来たんって梅雨ぐらいの時期やったっけ?」

「そうだね、あのブランコで連絡先交換したよね」

「たったの数ヶ月前やのに、めっちゃ昔に感じるな」

私たちは、吸い込まれるようにブランコに腰掛け、お互い間を取った。上手く言葉にできるかわからないけど。







「あのね、ごう」

静寂を破ったのは、紛れもなく私の声で、

「受かったんだ。オーディション」

「え!!そうなん!?」

「うん。でね」

ごめんね、決めちゃったんだ。もう今更違う自分になれるわけないじゃない。

「明日に、上京するんだ」

俯き、ブランコの持ち手に力弱く両手を握り込んで、擦り切れるような声で伝えた。
半端な夢の一欠片が、不意に誰かを傷つけてゆく。臆病な私は、目を閉じて離れた。

「ええ、じゃあ学校は辞めるの?」

「うん、そうなる。だから、、今日でお別れになるの。この街とも」

あなたとも。

「まぁ言い出すのは相当しんどいことだろうからね。寧ろなんかこう。嬉しい。俺に直接言ってくれるのは、うん。嬉しい。何よりも、本当におめでとう!」

今までずっと探してた。あなたへの想い、伝えることなんて必要ないよね。片想いなら黙っていればいい。両想いなら気づかなければいい。

「ごうにはずっと…こう…助けられてたよ。つまらない学校生活がそれなりに楽になったのは、ごうがいたからだから…本当に……あの…」

涙をグッと堪える。内股に力が入る。彼の角度からは見えない逆手で握り拳を作って、、

「ありがとう」

「こちらこそ、ありがとうな」

木枯らしと枯葉の舞、かさついた両手の先の力を抜いて、彼は屈託のない笑顔を向けてくれた。私の心は見透かされているようで。

「明日あれなん?何で行くん?」

「あーえっと飛行機。三ツ坂から一番近い空港から出る予定。時間は、14時とかかな」

「もう段取りしてるのな、そうやなぁ」

彼が立ち上がって、遠くの景色を見つめる。モノトーンのような鮮やかな風景が映る街中を、見下ろしながら語りかけてくる。

「ほんま、夢が叶うように願ってるから。俺の想い、全部持ってって」

なんて言ったらいいかわからんやった。でも、ごうの夢や想いに報いると決心したはずだったのに、本人から直接渡されると、返す言葉が浮かばんやった。

「うん、頑張るね」

「ずっと応援してるからな!」

悠々としているようで、どこか物悲しくて、前を向いて歩き出したはずなのに、どこか後ろ髪を引かれるようで。今日で彼とはお別れになる、その悲しさも、寂しさも、波のように押し寄せてくるかと思っていたけど、そうでもないみたい。

帰りのバス、陽が落ちる頃合いだったからか、少し混んでいた。私たちはいつもの後方座席を取れず、立ったまま揺らされることになった。

彼が思いついたように口を開き、

「あの、覚えてる?あの手提げ忘れて帰って俺が傘貸した日」

「うん、今でも鮮明に覚えてるよ。出会いみたいなもんだし」

「あれさ、もしひかるが手提げ忘れてなかったら、どうなってたかな。とか考えたことない?」

選択は、人生においてよくあることだけど、私はあまりくよくよせずに決めたことはキッパリするタイプ。だけど、あの日の選択は、まるで大きな分岐点だったような。不思議と胸騒ぎがしたのも、クリーンに頭に残っている。

「そうだなぁ。私はそんな考えないかな。なるようにしかならないというか、過去に戻ることはできないわけだから。自分の道が正解だと思うことも大事かなって思うし」

「強いな、ひかるは。そんなひかるが、ちょっと羨ましかった」

次は、櫻坂前。別れが近づくにつれ、動悸が激しくなるのがわかる。

「じゃ、また何かあったら連絡は取るから。アイドル頑張ってな!」

彼はそう言い残して、颯爽とバスから降りて行った。私は「うん」と頷くことしかできず、私の灰色だった世界を変えてくれた、ごうに言の葉を紡ぐことすらできなかった。

自分の部屋に戻ると、大きなキャリーケースとショルダーバッグがすでに用意されている。飛行機のチケットは、しっかり内ポケットに閉まって。彼への想いも、心に仕舞って。




「ひかる、本当に行くんやね。お母さん達、空港まで見送れないけど、迷いそうだったら連絡ね。お父さんは仕事でいないけど、きっとひかるが大きくなって帰ってくると願っているはずやから」

「うん。返ってきたら親孝行とかできるぐらいに立派になるね」

母親は、私の頬をそっと撫でてくれた。もちろん、覚悟は決まっている。

私が、アイドルになるのは。





フライト当日、13時を少し過ぎた頃、私は國陵空港の二階出発ロビーの、時計台近くのベンチで時間の経過をゆっくり待っていた。休日のお昼ということもあって、人気はそれなりにある。いや、基準がよくわからないけど。

13時25分、そろそろ自分の乗車する便の入り口付近に向かおうとした時だった。

『ひかる!空港のどこにおる?』

ごうが唐突にLINEを送ってきた。私は即返信して、

『國陵空港線の出発ロビー、二階ターミナルとか書いてるところだよ!』

『おけ、ちょっと待って』

耳を澄ませば聞こえてくる。色々な声や物音。人は誰もその喧騒に、大事なものを聞き逃している。ねぇ、ちょっと静かに。ほんの少しでいいから。大事なものを聞き逃さないために。

人の流れが加速しているように見える。そんな中、彼が走ってこっちまでやって来た。

「ごめんひかる…渡したいものがあって…これ」

彼は、私と会った時に貸してくれた傘を持って手渡してきた。

「これ、なんで?」

「うざったいようかもしれないけど、何やかんや思い入れがあるものはそれしかなくて。御守りとか何かしら図工したかったけど時間なかったから…もし忘れそうなときに、それで思い出して忘れないで欲しいなって。でもその思い出すらも邪魔になりそうだったら、上手に忘れてほしい」



「ありがとう…でもそんな…」



だって、狡いよ。離れる決心をして、いい意味でドライに感じた昨日の悲しみを返して。



「そんな寂しいこと言わないでよ……」



流し目で誤魔化しているけど、もう涙が溢れる寸前だった。彼は、私を見送ろうとここまで来てくれた。あんなさっぱりした別れ方したと思えば、やっぱり今日来るからあんな質素だったんだ。



「忘れるわけないやん。だってごうのこと……私は本当に…」



唇を噛み締め、一輪の花を添えるように、零れてゆく一滴の雫のように、丁寧に、あなたに。



「好きやったから……」



私の火照った指先に、彼の少し冷たい指先とが触れ合った。ゆっくり掌を合わせるように、震える私の手を、ぎこちない彼の手が覆い尽くす。


ー初めて触れた、ごうの手。温かい。
ー初めて触れた、ひかるの手。暖かい。


私はそっと。ゆっくりと、彼の胸元に身体を預けた。


私たちはなぜここで、見つめ合っているのかって、不思議なことだと改めて思ったかもしれない。


偶然に弄ばれて。

ー理屈じゃないんだ。
ー衝動じゃないんだ。


広い世界には、多くの人がいるのに、同じ時間を共有するなんて、それを奇跡で片付けてしまうのは、勿体ない勘違い。


ー運命以上の、行き過ぎた感情。
ー宿命以上の、行き過ぎた感情。


言葉を交わさず、ただあなたと私の愛の脈が打ち続ける。


夢とか、想いとか、もうそんなのどうでもよくなってしまうぐらい。


大切なものがなぜ、大切なのか。考えたって。何になる?


ー私は、ごうを理由なく好きだ。
ー俺は、ひかるを理由があって好きだ。





唯一、そこに、私たちに、真実があるとしたならば。

私たちは、

あやふやな関係だったということだ。







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