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保乃は、ほんまに昔っから緊張しぃや。土壇場になると自分の悪いところが浮き彫りになるし、形になって目の前に現れて、それが結果に直結する自分に対してイラつく。彼と別れてグループで頑張る決心も、彼と付き合ってアイドルを捨てる決心も、どちらも取ることができへん。明日から、どうやって過ごしていけばええんやろ。
あの二人で遊び倒していた日以降、どうやら私は仕事に支障をきたしていたようだ。保乃自身は気づいてへんかったけど、ネットでは「田村にやる気がない」「急に様子がおかしくなった」などの声が後を絶たへんくなってる。もうすぐグループにとって大切な東京ドーム公演が控えているというのに。
東京ドーム公演はグループにとって最も大事な日になることはわかっていた。先輩の作ってきたこの道を壊すことなど許されへんし、不協和音で偉大な先輩のポジションでパフォーマンスをする大役を任され、責任は大きくのしかかってくるばかりやった。
そのライブの前に、二期生のみんなで集まることになった。松田が「ドーム公演前に、みんなで気持ちを一つにしたい」。そう言いだしたのが始まりで、集合場所はとあるメンバーの自宅。
てくてくと重い足を運ぶ私。こんな中途半端な気持ちでドーム公演に臨むわけにはいかない。故に、今日の集まりで決心できる可能性があると信じ、皆の元に走った。
「保乃ちゃん!いつも早いのに今日は一番遅かったやん!」
そう弄って出迎えてくれたのは武元唯衣ちゃん。どうやら私以外もう到着していたらしい。ゆっくりとドアを開けると...
「お!保乃来たよ!」
「これで全員やな!」
「話し合おう!」
誰の声なのかも把握できなかった。気持ちの整理もついていない私は、ゆっくりと腰を降ろし、話し合いの輪に入った。
「でね、今日集まってもらったのはドーム公演前に士気を高めるっていうか。LINEでも言ったように気持ちを一つにしたいというか、邪念を全て取っ払って進んでいくための会にしたいっていうか。一味同心するためというか。まぁ、そういう...ね!」
松田がいつも通り指揮を執り喋り出した。その松田に井上が続き、
「そういうの、ほんまに大事やって思ってて。思ってることでも、言葉にすることがほんま大事やって思うんやんか。やから、不安なこととか迷ってることとかも全部、ぶつけあって受け止め合いたいなって」
その真剣な眼差しと、丁寧且つ繊細な言の葉は、私の薄汚れた心に一つずつ突き刺さっていく。
この井上の言葉を皮切りに、それぞれ気持ちの丈を述べ始めた。自分が欅坂としてやっていくのが怖いという人も、バラエティで結果を残せないっていう人も、パフォーマンスに自信がないという人も、声に出し、私以外の全員が強く受け止め、時に涙ながらに語り合う。私は、一体何をやってるんやろ。そう考えていたその時、
「そういえば保乃ちゃん、最近顔暗いけど大丈夫?」
容赦なく松平がそう聞いてきた。張りつめた空気になる、この雰囲気、皆も薄々感じ取っていたんかな。私自身がわからない違和感に。
「ん?そう?んーーー」
やり過ごそうとしてる。私だけ本音の一つ言えず、終わらせようとしてる。二期生の前では、何も隠すことなんてなかったのに。
「なんでも聞くから、大丈夫だよ」
関が疑いの余地がない目でそう問う。どうしたら...
「受け止めたるから、な」
藤吉がそう言いながら私の肩に手をそっと置いた。言葉だけじゃなく、その手からも温もりを感じる。
「いや、その、あれやねんな...どうしたらええか、わからへんのよな。自分が自分じゃないようで。そん時はそうやないって思っとったけど、何がええんかとか何が悪いとか、正解とか不正解とかわからへんっていうか」
恐らくみんな、今言ってることの何一つとして理解できてない。それもそう、私が理解できてへん。頭の回転と現実の世界とのスピードの誤差がありすぎる。無理や。
「つまり、欅坂としている自分に自信がないってこと?」
森田が要約するようにそう言い放った。そうだ、そうしてしまえば...
「うん...」
力のない声で私は、森田が言った言葉に乗ってしまった。嘘だとわかっているからこそ、自分が嫌になる。
この後は、皆が慰めてくれるだけで、聞き慣れたようなことばかり言われた。そんな優しい同期の言葉すら、私の耳に届くことはなく、その日を終えてしまった。こんなその場凌ぎがどこまで通用するんだろう。日に日に恐怖が私を覆っていくようで、自分が削れていくようで、それでも彼のことを諦めることが出来なくて、
ずっと作り上げてきた絆が、音を立てて崩れていくのが嫌なのに、私は...くだらないエゴで...
全てを有耶無耶にしようとした。双方共に迷惑をかけているのもわかっているけど、どっちを選んでも幸せな結果にならない気がするから。忘れてしまおうとも思った。メンバーとも、彼とも、もっと違う設定で、もっと違う性格で、出会える世界線を選べたらええのに。そんな自己中でわがままな心もどこにも吐けないもどかしさで、惰性的な生活になっていった。
バラエティではボーっとしてしまうこともあった。歌番組では身が入っていないようなパフォーマンスをしてしまっていた。同期との連絡も減り、先輩から話しかけられても透かしているように思われてもおかしくないような対応をしてしまった。一人になった時は、数ヵ月後の自分の未来の姿もわからない事実に打ちひしがれて、泣いていたこともあった。メッセージの数も少なくなった、ブログなんてまともに書けるメンタルでもなくなった。うっすら一期生の方から遠ざけられているような気がした。日に日に血の気が増しているようだった。上手くいかないことがあるとすぐに激怒してしまうこともあった。それでも、彼とメンバーが好きな思いだけが、私を突き動かしていた。もう欅坂が、アイドルが好きなことが原動力になっていないことが自分でもわかっていた。だからこそ、何もしたくなくなっていった。やっぱり、彼との関係に答えを出さないと幸せな道なんてない。
そして東京ドーム公演のちょうど一週間前、彼から連絡が入った。
「大一番のライブのことも考えて、また話し合いたいのですが、空いている日はありませんか?」
甘い誘惑に誘われるカブトムシのように、私は日程を無理やり空けて、彼とまた意味のない話し合いの場を設けようとした。今回は大阪のアンティークな雰囲気の老舗喫茶店で集まることにした。彼にも、もう迷惑をかけるわけにはいかへん。
約束の時間に、約束の場所に、私は15分前には辿りついていた。二期生と話す時とはまた違う感情で向かった。不安な気持ちは一緒やけど、持ってきたモノは間違いなく異なっている。どうやって伝えよう。伝えんかったら、思ってへんのと同じや。
彼も集合時刻より早く到着した。
「あ、どうも」
「こんにちは、ここで合ってるんやんな?」
あの邂逅の頃とは、まるで変わってしまった。ごめんなさい。ファンの一人であるあなたを、私のエゴでおかしくしてしまって、なんて言えたら楽になれんのに。
一言も交わさないまま、私たちは各々のメニューを頼んだ。何のために集まったんや、話さな。なんか言わな。
「あぁ、ごう?大事なライブの前に呼んでくれて、ありがとうな。ちゃんと話し合う機会は、今日ぐらいしかないから、ゆっくり話そな」
「あ、そうっすね」
何から伝えよう?アイドルとファンの関係を考えて、もうこれ以上やめましょう?いや私から誘っといてどの口が言うねんな。もしここで関係を絶っても、あなたは私の推しでいてくれますか?いやそんな上からいくのはあまりに忍びない。
好きな思い?そんな特別な感情は心の檻にしまっている。
「あの思い出の場所で、出会った時に、私思ったんよな。奇跡の邂逅やなって。運命なんちゃうかなって。だから、その事実を手放したくなくて、アイドルでやってる自分も今しかなくて、でも...その...ごうも手放しちゃいけない気もして」
「あぁ、あれよ。自分は大丈夫よ。所詮ファンの一人だし、好きなのはもちろんなんだけど、邪魔したら悪いなって思うし」
いや、そんなん狡い。違うやん。今のあなたも捨てられへんのやって。
「いや、そんなんじゃなくて...」
「お待たせ致しましたー」
私たちの会話を遮るように店員が注文した商品を運んできた。高ぶった気持ちを落ち着かせてくれたから、悪いタイミングではない。
「すいません。でも、そんなんじゃなくて、私は...」
また二期生のみんなに偽りを並べた時のように終わらせるんかな。あかん。もう、言ってしまいたい。
「ごうと...一緒にいたい...」
おかしいやんな、絶対おかしいやんな。わかってる。たまたま私のファンの人が、たまたま子供の頃に地元にお祭りで出会った人で、たまたま昔に出会った場所で邂逅をしてしまって、その偶然の連続は、いつしか私の中で運命の人だなんて都合の良い解釈をさせた。悪いんは神様なんちゃうん。ああもう、責任転嫁も甚だしいな。
「本当に...?」
「はい、ごうは、どう思ってる?」
その一つだけ、間を取って...
「自分も、保乃と一緒にいたいと思ってる、うん」
一緒にいたいだなんて、どうとも捉えられる。具体性があるようで、どこか漠然とした逃げ場だらけの曖昧な言葉。それでも、彼に伝わったなら、少しだけ私は前に進めたような気がする。本当にこれが私の答えなんやろうか。願望に近いんじゃないのか。当然メンバーの顔が頭をよぎった。恋愛禁止という言葉もめちゃくちゃ邪魔してくる。卒業もちらつく。ごめんなさい。あぁ誤ってばっかや。口に出さないくせに。
その後の食事は喉を通らなかった。それは私だけじゃなく、彼もそうで、二人とも完食できずに、店を後にした。
「今日はありがとうございました」
彼が丁寧に頭を下げてきた。私も感謝の気持ちを伝え、無事に帰路に着いた。
自分を削っている。日に日に形もわからなくなっていく。そんな日々が続くようで、血反吐を吐いて人生の限界に向かっていっているようで。
東京ドーム公演まであと6日。彼に思いを伝えたことで、グループの活動する自分が更に追い込まれていくことは、わかっていた。この日の午前のうちにマネージャーから連絡が入っていて、事務所に向かってほしいと言われていたので、私はゆっくりと向かっていた。
事務所に着くと、玄関前のスタッフに誘導され、会議室のような広い部屋に入らされた。
中には顔見知りの人もいれば、全く知らない人もいる。大人がこんなたくさん集まって、私に何の用なんだろう?
「欅坂の田村さん、ですよね。実は今週に発売されるとある週刊誌の記事にこのような内容がありまして...」
私に手渡されたその週刊誌ネタがプリントされたA4の用紙。内容は目を疑った。
『欅坂46の二期生のエース、田村保乃が大阪の喫茶店で謎の男性と密会!?』
なんと店に入るタイミングの写真もしっかりおさまっていた。
なんでつけられていたんやろうとか、なんで気づかんかったんやろうとか、考えている間もなく...
「これの事実確認をですね、田村さん本人に伺いたいと思います。結果によってはドーム公演どころか、次のシングル、そして活動にも影響がでます。事実でないのであれば、真っ向から否定して身の潔白を証明したいと思っております」
紛れもない事実。疑いようのない姿。私の愚行は、見逃されていなかった。天網恢恢疎にして漏らさずということわざはホンマやったんや。
「嘘ではありません。大阪で男性の方とお食事をしたのは事実です。でも、彼氏ではありません。お友達です。すいません...」
こう言うしかなかった。ほら、嘘が重なっていく。こうしてまた視界を悪くするだけして、根底にある問題に向き合おうとしない。あやふやにして間延びさせても意味がないことは私が一番わかっているのに。
「わかった。でも記事が世に出ることはもう確定事項だ。それもドーム公演の前に日だ。なんとも酷い話だが、すぐに否定してライブに備えましょう。明日にメンバー全員に、田村さんの口から説明できますか?」
「はい、わかりました」
その約束通り、東京ドーム公演の5日前、欅坂のメンバー全員が急遽召集されることとなった。私の問題ってだけで、申し訳ない。しかし話すことはまとまっていても、上手く皆に言えるやろうか。不安と焦燥に駆られ、胸のざわつきがおさまらない、なんて言うんやろ。自律神経が乱れているようなこの感覚。嫌な予感がする。
この私の理屈では説明しがたい第六感は、何を意味するのかわかるわけもなく、
次のメンバーとの話し合いは、ただでは終わらない。そんなことを考えながら、
みんなが待つ部屋のドアを開けた。
ゆっくりとドアを開けると、今回東京ドームに出演するだけのメンバーが全員座り込んでいた。ここは完全にメンバーだけの空間で、それだけに異様な緊張感が張りつめている。
「今回は、私のお話だというのに、貴重なお時間をくださりありがとうございます。えぇ、今回の話の内容なのですが、実は...」
怖い。皆の視線がまるで全世界の人から向けられているようで、恐怖心が増す一方。怖い。
「私、田村保乃が大阪で男性の方と密会していた写真を某週刊誌に撮られてしまい、それが記事になることが決まってしまいました。こうして欅坂の皆さんに迷惑をかけてしまうこと、深くお詫び申し上げたいと思います。大変、申し訳ありませんでした」
頭を深く下げ、目を瞑った。皆の顔を見ることなんてできるはずもない。
「しかし、それは少し語弊がありまして、彼氏ではないんです。大阪の友達なので、別にそんな関係を持っていないので、恋愛をしているわけではありません!すいませんで...」
「本当なの?友人の男性と二人だけで?今の時期に?」
私の言葉を遮ったのは、副キャプテンの守屋さん。私のことを信頼していないのも当然。こんな大事な時期に二人でお茶なんてどうかしてる。
「はい。本当に恋愛関係ではなくて、友人とです。これは事実なので、記事も出たらすぐに否定しようと思います」
私がそういうと、キャプテンの菅井さんが重い腰を上げ、
「保乃ちゃんがそういうんだから、間違いないよ。私はメンバーである保乃ちゃんを信じたい。皆も信じてあげない?」
その場では皆、納得してくれた。菅井さんの言葉に助けられた私は、少し安堵していた。
「本当に誤解を招くような行動を取ってしまい、軽率な行いをしてしまったこと、申し訳ありませんでした。今後は、一切そのようなことは...」
無いと...言い切れるだろうか?
言葉を詰まらせてしまった。皆もあると思う。虚無から現実世界に戻ってきたときの感覚。その二つの狭間で逃げ惑うと、もう言葉に説得力はなくなっている。嘘で塗り固められた私は、現実世界との差異があまりに大きすぎて、虚無から引き戻されたその瞬間だったから、次の言葉が続かなかった。
「もういいじゃん、なんか可哀想だし」
そう言って止めてくれたのは平手さんだった。優しさのようで厳しさのようで、憐みのようで。平手さんの言葉を受け、メンバーの皆は立ち上がり、その場を立ち去っていく。
「まぁ彼氏いそうだしね」
「ほんとタイミング最悪」
「あの曲ねるのポジションだっていうのにねー」
皆が呟きながら帰っていく。残ったのは、二期生のメンバーだけだった。
「なぁ、なんで最後の言葉どもったん?」
珍しく藤吉が苛立った表情で私に問いかけてきた。
「いや、それは、緊張しちゃって...」
その言葉を受けた藤吉は、立ち上がり私に詰め寄ってくる。
「別に保乃の言ってることが事実なんやったら堂々としとったらええんやん」
その勢いのまま、私の目の前に来て両肩を掴み、
「自信のなく言ってたように私は見えたで。前の二期生で集まってる時も薄々気づいてた。保乃が私たちに隠し事してるんちゃうかなって。二期生の8人で考えとった。そんで今日保乃からなんかあるってなった時、やっぱそうやったんやって。そしてさっきのあんたはまた前みたいに嘘ついてるようにしか見えんかった。なんなん...なぁ...」
両肩を掴む手の力が次第に大きくなるのが伝わる。少しゆすりながら、私の目を見つめ...
「その男性、あんたの彼氏と違うんか?」
「やめて夏鈴!!」
そう言って肩を持つ藤吉の手を引き離したのは松田だった。彼氏...?そう言われたら、また違う。否定しないと...
「ちゃうねん夏鈴ちゃん。彼氏”では”ないねん...」
「”では”ない?」
自分で墓穴を掘ってしまった。見逃さなかったのは松平だ。
「保乃。正直に言っていいよ。言ったでしょ。私たちは聞いてあげるって!」
松田が聞き返してくる。本当に逃げ場がなくなった。答えなくちゃ。
「だから...彼氏と違う。ほんまにちゃうねん!」
「じゃあ、恋愛感情はその人に抱いてるん?」
井上が冷静に聞いてきた。それは、それだけは、
「恋愛...感情...」
私は答えられなかった。すると藤吉が顔を赤くし、
「ほらそうなんやんか。その思いでご飯も行ったんやろ!だから二期生で集まった時の歯切れ悪かったんやん!仕事に支障出てたのもそれが原因なんやろ!なぁ!!!!」
この部屋の静寂を破るような怒声が鳴り響いた。藤吉の腕を武元がそっと掴み、
「夏鈴落ち着き!な。保乃ちゃん、私たちにしか言わんでええから。ほんまのこと話して?」
一拍を置いてから、私は想いをぶちまけた。
「そう、やな。うん。私はその人に特別な感情を抱いてることは事実で、その気持ちに嘘偽りはないねんな。実は今年の夏にとあるお祭りで、10年越しに彼と出会ってしまって、それが運命のように感じてしまってな。そこからずっと彼のこと考えてたし、仕事も疎かにしていってしまってた。二期生のみんなと、欅坂のみんなが好きなのは当然なんやけど、その奇跡の邂逅は、私のイマジネーションを歪ませていってしまって。いつしか落ち着いた判断とか、冷静に物事を捉えることもできんくなっていってた。みんなには本当の顔を見せることができへん自分にイラつくこともあった...でも、ドーム公演は成功させたいと思ってるし、絆は壊したくない!だから...!!」
「今のあんたの口から東京ドーム公演がやりたいやと?そんなん悲劇のヒロイン気取りちゃうん...?」
そんな私を見て、また藤吉が口を開いた。
「みんな、恋愛なんかしたいに決まってるやろ!!それでも、それでも、、、、
欅坂が、二期生が、ファンのみんなが大好きやから!アイドルってもんに熱中できるんと違うんか!」
藤吉は掴まれている武元の手を振りほどき、
「じゃあ今のあんたに、私たちの気持ちがわかるんか!」
わからへんよ、だって、もう眩しく見えて...薄汚れた心は、気づけば取り返しのつかないところまでいってしまってた。
「さっきあんたが言った絆ってなんや!嘘で塗り固められた絆か!矛盾と欺瞞ばかりの表だけの絆か!木綿で優しく包んだような甘やかしい絆か!二期生の絆って、欅坂の絆ってなんや!!あるとするなら、どんな絆なんや!!」
そう熱く喋る藤吉の目には、涙が溜まっているように見えた。
「私たちの思いも、本当の気持ちも疎かにして、何も知らないくせに...」
「偉そうなこと言うな!!!!!!」
何も、言葉が出てこなかった。夏鈴ちゃん、ごめん。そんな単純な言葉すら、陳腐に思えて。私は膝から崩れ落ち、両手を地面についていた。
「今日は、一旦やめにしよ...」
関がそう言い、藤吉を部屋の外に連れて行った。山﨑が泣きながら出ていくのも、森田と松田が思いつめた表情で出ていくのも、武元と松平が不安そうに出ていくのも、認識はできる程度だった。
俯く私の前に、誰かがしゃがんでいる影が見える。
「保乃、少しだけ外の風に当たりにいかへん?」
井上だ。彼女がそういうと、私は言われるがまま、外に出て、街を外れ、人気がほぼない浜辺沿いに出てきた。日が暮れたこの夜、夜風が少し冷たくて、秋の訪れを感じていた。
......優しい風が、私たちの溝をなぞるように吹き抜ける。
「今日の保乃の話が事実だとか、嘘だとか、真偽は置いて話したいんやんか。実際、欅d...欅坂でいた日々は楽しかった?」
その井上の言葉は、ゆっくりと私の影と光の狭間に入ってきて...
「めっちゃ、面白いし、この全員で頑張っていくんやろうなって。アイドルが好きやったから、憧れの自分になれる喜びで、味わったことのない不安で、永遠を知った感動で、二期生の絆を感じ取ったその奇跡が、身震いをするような最高の時間やったし、めちゃくちゃ楽しかった」
「そうやんな。私も保乃と同じで、めっちゃ幸せやし、その分苦労もしたし、その分己を削ったし、その分、泣いてきた。同じ感情を共有できたから、同じ”心”も持っていたから、あんなに楽しかったんやなぁって思うねんな」
”同じ心を持っていたから”この言葉は、あまりに潔白で、可憐で、儚くて、底にある私に救いの手が差し伸べられたようで。核心を突かれた気分になった。同じ心。それを全員で分け合い、時に背負い、そして支えていた。これが”本当”だとするならば。
「井上、ごめん。ほんまごめん。ずっと...私を...隠しちゃってて...ほんまにごめん......保乃な...みんなに迷惑かけてるって思ってたのに...正直にも素直にもなれへんかった...ほんまに...」
今まで溜め込んできた、全ての感情の吐露。涙が溢れて止まらなかった。みんなの顔も鮮明に思い出した。まるで記憶が蘇っていくようで。被写体にフォーカスがバチッとハマったようで。いつでもわかってもらおうとした。いつでも自然な自分を受け止めてくれると甘えていた。自分が思い描いたままの姿であれば、前に進めると思ってた。でも、そうじゃない。すぐ近くに仲間がいる。横を見れば、全員で頑張ろうと笑い合った二期生のみんながいる。
そんな単純なことを...
「ええねんで。夏鈴ちゃんも、保乃のことが好きやから、あんなこと言ってたんやと思う。私は、何を言うにも及ばへんというか、上手く伝えることはできへんけど、保乃とまだ一緒に欅坂で頑張りたいって思ってるで」
井上はそういうと私の手を握ってきた。地肌が冷たく、少し震えるように置かれたその手は、雪解けのように、降り積もっていた私の邪念を払いのけていく。
「井上、ありがとう。東京ドーム公演、がんばるな...」
そこには間違いなく、硬く強い絆がある。二期生の皆がかけてくれた言葉にも、信じていたという眼にも、井上の掌にも、形あるものじゃないけど、絶対に。絆はそこにある。
繋いだ手と手を、ゆっくりと放していったその刹那でわかる。触れていた指と指が尊く、その一瞬ですら惜しく思える、これがさっき井上が言ってくれた。
ー 同じ心 なんだと ー
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「これってごうなんじゃないの!?」
「嘘マジで???アイドルと一緒に週刊誌乗ってんじゃん!!!」
うちの大学のゼミ室では既に、この写真の真偽を楽しみに待ちわびている輩がいる。しかし、なんで流出したっていうんだ。一般の人の目撃か、メンバー内リークか、はたまた...
何にしたって、俺は保乃のアイドル人生をぶち壊した。その事実はもう消えない。隠れながら恋愛なんて今のご時世、不可能に決まってることもわかっておきながら。理性を止めることができなかった。
ゼミ室に入ったや否や、何人かの生徒が俺に問いかけてくる。
「これってごう?」
「ごうさん、アイドルと大阪でお茶してたってマジ?」
大学生にもなって、中学生みたいなノリで話してきやがって。俺の顔にモザイクぐらいかけといてほしいもんだな。
「いや、別人よ。俺がこんな可愛い子と一緒にいるわけないし」
これに一点張りでなんとかその場は凌いだ。ゼミの時間が終わると、このゼミのリーダーである三島先輩が俺に近寄り、
「ちょっと、話できる?」
この人とは昔からかなり話が合う。大学で知り合ったんだが、アイドルも一緒に好きで、賢くて、ことある事にわかんねーことがあったら、とりあえず三島先輩に頼んでなんとかしてきた。それぐらい信頼している先輩でな。
当然話についていった俺は、雨が降っているから外を避け、大学の二棟の端にある屋根の下のベンチに腰をかけていた。
「ほい、これ」
先輩は缶コーヒーを俺に手渡し、隣のベンチに座った。
「保乃ちゃんと写っていたの、ごうなんじゃないの?」
「いや、そうっすね。まぁ、バレますよね」
先輩までも欺こうとは思わなかった。申し訳ねぇな。無駄な心配は普段クソほどかけてるってのに。
「それに関しては別にいいんだけどね。でも、東京ドーム公演ももうすぐだし、この記事が出回ってる以上、彼女は永遠にこれが付きまとうことになるでしょ。ごうは、どうしたい?」
「俺がっすか...そりゃ、邪魔をしない方が絶対にいいですよね。わかってはいるんすけど」
三島先輩がその場で立ち上がり、遠くの空を見つめた。
「珍しいね。近頃、ごうのそんな思いつめた表情なんて見てなかったから」
思いつめた表情か...
「そうっすね...。自分、いつも自分が楽しけりゃ一人だって平気で」
「確かに、ごうは出会った時から、人は人、自分は自分って、感じだったからね」
「っすね。でも、今ではアイドルとか、保乃がすげぇ気になるんすよ。あの子たち見てると、自分だけ進んでない、取り残されてるって思ったり。焦ったり、なんか最近おかしいんすよ」
「恋愛をするっていうのはそういうことよ」
...え?
「ごうはおかしなことなんてないよ。友達とか、好きな人とも時には比較してしまう。時の移ろいと共に、周りは変わる。焦りや戸惑いだってある」
雲一つとない夜空には、綺麗な星空が浮かんでいる。
「夏と冬では、デネブの周りで輝く星、星座は違う。デネブは、およそ8.000年後には、北極の近くで輝く」
「先輩、あれっすか。北極星になるみたいな話っすか」
「そう、その通り。環境や状況が変わっても、デネブは変わらず、輝き続けるんだろうね」
環境や状況が変わっても、変わらず輝き続ける...
そうか。そうなんだな。
「ありがとうございます先輩!!!」
俺は頭を下げて、雨が降りしきる大学の中庭を走った。すぐにでも会いに行かないと。その話が事実なのだとするならば。どんなことも捉え方一つだ。でも、得意の都合の良い解釈があるじゃないか。雨が一層強くなる。アスファルトの上で口答えしているように思える。その描写は、雨に負けないくらいの淡い思いが、俺の我慢できない衝動が駆りたててくるようで。傘がなくたって、走りたい日もある。そう思う日なんて今日ぐらいだ。
「東京ドーム公演より前に、田村保乃さんと会って話したいです」
最後のLINEになることは、俺の心に決まっていた。
東京ドーム公演まで、あと1日。保乃は俺に時間を割いてくれるらしく、21時にあの約束の場所で合おうと連絡がきた。ようやく短いようで長かった、時間が終局を迎えようとしている。長らく見つからなかった答えも、全てそこにある。自分の体一つだけを持っていく。
大阪府の枚方市である、お祭りから少し離れた小道を抜け、欅の木の下で、田村保乃を待った。夢みたいな時間だったろ?と言わんばかりに蛍が辺りを照らす。祭りが開催されていた時に比べ、騒音一つとしてない。この物語のエンドロールを奏でているような鈴虫の鳴き声。立派にそびえ立つ古びた欅の木は、ずっと寄り添ってくれる。
遠くに影が見え始めた。ゆっくりと、その足を運んでくる。
「待った...やんな。ごめんな。ちょっと遅れてもた」
「そんな長く待ってないから、大丈夫」
保乃がじりじりと歩み寄ってくる。そして二人で、欅の木に背中を合わし、立ちすくんだまま、
あの奇跡の邂逅の時の感情なんて忘れたな。
もう奇跡の邂逅の時の思いなんて忘れてもたな。
「懐かしいな。10年前、あの左上の隅に引っかかったタココプター取ってくれたの。ほんま、全部懐かしいな。数週間前に、あなたと出会ったのも...」
「そうだな。正直、今でも信じられないんだけどな」
こんなことなら出会わない方が良かったのかもな。
「あのな、ずっとアイドルとしての自分も好きでな。一生、欅坂として幸せに活動していくんやなって思っててんな。でも、あの時、この場所で。あなたと出会ってから、運命の人と出会ってしまったっていうロマンチックな思考で、それ以降アイドルとプライベートの自分がわからんくなってしまってんな」
「俺も、好きなアイドルと繋がったことはやっぱ後を引くっつーか。違うか、後ろ髪引かれるっつーか。ほんと我ながらダメなことしてるってわかりながらも、全然取り返しつかないとこまでいっちまってたっていうか。そのなんつーか、あれだ。あんたのこと、ダメにさせてたみたいでさ」
「そう、やんな...」
保乃は、少し涙ぐみ、下を向いて話す。
「自分で答えを探しててん。どうしたらいいのか、ごうへの思いはなんなんか。わからんまま、海遊館で一緒に笑い合って、帰り道で呼び名決めて、タメで話すようになって。神戸でブラブラしとう時も、めちゃくちゃ気楽で幸せで、それでもわからんかった。そんで、私の中で見つけた答えが一つだけあんねん...」
答えなら、俺だって見つかったよ。
答えなんか、見つけたくなかってん。
わかってる。保乃の顔を見れば、嫌でも、
「ごうの、運命の人は私じゃないって...」
保乃は右手の握りこぶしを、自分の膝に当てながら、力強くそう言った。
知ってるよ、辛いけど否めない。
「うん。大丈夫。俺もそう思うから」
定めってやつがこの世に存在するのだとしたら、それに従うのが生を受けたモノの義務であると。運命ってやつに逆らうことは、俺にはできない。
「未来は変えられる。だから保乃は保乃の道を進んでほしい。今まで邪魔をしてごめん」
「知ってる...わかってる...やけど...運命の人じゃないんはわかる...永遠のパートナーじゃないんもわかる...迷惑をかけてきたんやってわかりきってる...!」
涙声に変わる保乃の声帯。そんな保乃を受け止めてあげられることができない無力な自分に。
「私がアイドルとして禁止されてることに触れてるんもわかってる!届かないモノやってわかってる!でも、でも!!!.........ごうのことは、ごうのことは、ホンマに...」
保乃はそういうと、俺の右手を掴んでくる。ゆっくりとこっちを向いて、一粒涙を流しながら、
「大好きやったで...」
一つずつ探し当てていた。起きがけの子供みたいに。保乃の手が触れていた、保乃の目が貫いた、俺の胸を真っ直ぐ。その時は、、、
「俺も、保乃のことが。田村保乃さんのことが..」
掴んで手を引きこんだ。広い肩幅を抱き寄せる。預けてほしい。間違いか正解かだなんてどうでもよかった。
「大好き、だった...」
一番近くで保乃を感じることができた。
一番遠くでごうを感じることができた。
強く抱きしめた。その瞬間だけは、君じゃなきゃいけないとただ強く思いながら、
強く抱きしめられた。その永遠は、あなたじゃなきゃいけないとただ強く思いながら、
「ありがとう...」
これまでの愚行を許してほしい。そう願うように、感謝の言葉を伝えた。
少しずつ抱き寄せていた手を離し、肩を掴み、面と面を向き合う。すると、保乃は満面の笑みで、誰にも見せたことのない顔で、
「私の方からも、ありがとうな!」
これまでの時間に最大限の敬意をもって、その思いを乗せて、感謝の言葉を伝えた。
全てが可愛かった。愛おしかった。好きだった。一人の女性として。田村保乃という人が、”等身大の彼女”が大好きだった。
夏と冬では、デネブの周りで輝く星、星座は違う。デネブは、およそ8.000年後には、北極の近くで輝く。
環境や状況が変わっても、デネブは変わらず、輝き続けるんだろう。
それと同じように、環境や状況や情勢が変わろうとも、保乃は変わらず、輝き続けるんだろう。
”欅坂46”のアイドルとして。。。
東京ドーム公演当日。週刊誌の報道を、事務所は真っ向から否定し、田村保乃は自身のメッセージやブログで、強く反論した。その渦中、ドーム公演は無事に成功した。田村保乃は任さられた演目をやり通し、不協和音では長濱ねるのポジションを務めた。
後に次のシングルの発売日が延期。同じ週刊誌で掲載された、その理由はこうだ。
「田村保乃の恋愛関係の報道を受けての運営の判断」
ファンの間では、判決を下した運営が批判に晒される。
本当の事実と向き合わない、現実世界の時と平行していくように、
異聞録の世界でも、また欅坂は危機に晒されている。
一方で田村保乃は、恋愛を否定した後、ドーム公演で結果を残し、ファンからは更に好感度が上がった。テレビ番組にも呼ばれ、バラエティでは垢抜けたように元気で結果を残し、二期生とも仲直りをし、一期生には信頼され、後に平手と仲良くなり、ほのてちと愛されるようになっていく。彼女のシンデレラストーリーは既に始まっていたのだ。
田村保乃は今日も、ジンベイザメのキーホルダーを右手に握りしめ、
ほくそ笑んでいる。
ー fin