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クソ小説の捌け口

小説 「森田ひかるの黙示録」 Ⅰ

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小説 「森田ひかるの黙示録」 Ⅰ

「ひかる!今日は始業式でしょ、ぼけっとしてないで。大事なクラス分けなんじゃないの?」

「ううん、そんなに興味ない」

半分寝ぼけながら、母親にそっけない返答をしてしまった。私の名前は森田ひかる。多分、私のことを次のクラスで知ってる人はほとんどいない。

なぜかって言うと、去年の秋頃に親の事情で急遽、福岡から大阪に引っ越さなくてはならなくなって、それに伴い転校を余儀なくされたから。一年のクラスはたった半年足らずで終わったし、転校生っていうパッケージだけで多少訪れた当初は周りも気を使ってくれてたけど、今となっては一人時間の方が多くなった。家族の変化も、新天地の学校も、そこまで居心地がいいものと違う。そりゃ、こんな気の抜けた返事にもなってしまうよ。

「そんなこと言わんで、しっかり楽しまないかんよ!」

母親はそう言いながら、玄関で立ち尽くす悲壮感漂う私の背中をポンと押し出した。

「いってらっしゃい!」

「はーい」

春休みを終えて、最早少し懐かしく感じる通学路を歩き始める。無駄に長いバス停までの砂利道、バスの中では、数えるのが面倒なぐらいの駅を通過してる。終電に着くと、ずらずらと同じ学校の生徒たちが希望に満ち溢れた顔で、坂道を上っている。この滑らかな上り坂を歩くと、いよいよ三ツ坂の校門。この門をくぐるのは、半年経った今でも慣れない。

桜が祝福するように咲き誇っている。あ、クラス替えの用紙が張り出されてる。確認しないと、、、


「お!!クラス一緒じゃん!!」

「うっわ!担任絶対あいつじゃん最悪ー」

私の名前はどこだろう?

「どけって、え!お前また好きな子と一緒じゃん!」

「あの人と分かれたよかった〜」

2年6組、だから何だって話。私のことを知っている人はほぼいないって言ってたけど、私が知ってる生徒もほとんどいない。担任の菅井先生って誰だっけ、適当に優しくて、面倒を見るのが苦手そうな人だった気がする。というか、私がこの学校で知っていることって一体何なんだろう?


クラス毎に指定された教室に入り、名前順で並ぶもんだから、私はいつも右列の後ろ。相も変わらず、作り笑いの教師が見せかけの愛を謳っている。

「クラスの親睦を深めるために、明日のホームルームで席替えを行います!」

そう張り切って言い放った言葉以外は、全然覚えていない。後は適当に始業式が終わって、適当に春休みの宿題のことを補足されて、適当に帰宅した。

こんな私でも、実は漠然とした夢がある。それはアイドルになること。内弁慶でシャイな自分は向いていないだろうけど、あの職業に強く憧れの感情を抱いている。いや、こんな社交性のない私だから、余計にキラキラしたアイドルに惹かれるのかもしれない。でも正直、本気でなる気はそこまでない。応援する側の人でいられたらそれでいいかなって。

最近は夜も眠れなかった。福岡にいた頃はそうでもなかったんだけど、大阪に来てからは朝方まで起きてしまって、授業中にウトウトすることも増えた気がするし、ご飯を食べる量も減った気がする。徐々に方言が抜け始めていることもわかっている。神経をすり減らす毎日。中だるみの高校二年生とは言われようけど、その通りに事が運ぶんだろう。いつも運命に身を任せて生きてきたから、もう別にそれでいいと割り切っているけど。

どうせ、運命に逆らうことなんて出来やしないんやし。

目が覚めると、外では鳥が囀り、私の部屋では沢山のぬいぐるみが横たわっている。春休みの宿題をカバンに詰めた私は、制服に着替えて嫌がる本能を押し殺し、動きたくないと悲鳴を上げる身体を無理やり起こし、学校に向かった。

「席替えはくじ引きで行います!私が持ってきたこの箱の中から一人ずつ...」

何だか胸騒ぎがしよる。不思議とここにいる自分に違和感を覚えとった。

福岡から来て慣れていないから?いや違う。
新たなクラスで環境が変わったから?いや違う。

担任だけが喋るこの教室の静けさが、まるで人混みの中で一人佇む喧騒の中にいるようで。

「それではクジを引いていってください!」



今、思い返すと、なんて事ない一日やったんやと思う。

それでも、その日が私のこれからを、、、

決定的に変えたんだ。




「はーい、みんな席ついてー!」

私は窓際から数えて、縦二列目の一番後ろ。もう一つ左だったら、端やったのになぁ。ぐらいの感想しか出てこない。仲が良さそうな人がくっついとったり、初めましての人達が話しとったり、そういうのを見て羨むわけもなく。帰って見たいアニメを考えながら、春休みの宿題を提出していた。

その日はホームルームで終わり、明日からの土日を挟んで、いよいよ本格的に学校生活が再スタートする。いつもは放課後に掃除があるんだけど、今日は担任の判断で無くなり、ゆっくりと帰る支度をしていると...

「えー雨降ってきたんだけど!!」

クラスメイトの誰かがそう呟くと、皆一斉に窓の方を振り向いた。土砂降りと言わずとも、アスファルトの上を大きく弾くぐらいには、強く降りしきっていた。予報では、曇りだったけど、、

「今日はみんな、気をつけて帰るように!」

担任の無責任の声だけが鳴り響き、帰りの挨拶を終え、ぞろぞろと皆が帰っていく。折り畳みも持ってきてないのに、最悪のタイミングだ。バス停まで濡れるのを覚悟し、立ち上がったその瞬間。

「すいません!」

私の左隣、窓際に座っていた彼だ。そっと駆け寄って来ると、

「これ、森田さんの?」

私が机の横に掛けてた、小さな手提げを持ってきてくれた、名も知らない同じクラスメイトの男性。

「ありがとうございます」

感謝だけして帰っていいのかな、適当に何か話した方がいいのかな。

そんなことを考えている間に、もうお互い教室のドアに向かっていた。こういう挨拶とかあった後に帰る時って、門まで歩く廊下とかでその人とずっといるのって、ちょっと気まずく感じる時ないですか?これ、私の中の学校あるあるなんですよね。なんて心で呟きながら。

左前にいる、さっきの男性を横目に、私はずぶ濡れになる覚悟で、カバンを頭の上に置き、走り出そうとしたその時、、、

「え!森田さん傘持ってへんの!?」

手提げを持ってきてくれた男性がそう言うと、私は足を止めた。

「今日は曇りって聞いてて、持って来なくても良かったかなって」

「濡れて帰ると、風邪ひくよ」

彼はそう言うと、右手に持つ傘を手渡してきた。

「俺、折り畳み傘あるから、これ使っていいよ。明日以降に返してくれたらそれでいいから」

私は小さく頷き、

「ありがとうございます」

としか言えんやった。人の優しさに触れたのは、久しぶりだから動揺している。帰り道も同じで、乗車するバスまで一緒だった。歩幅が僅かに小さい私は、少し遅れて彼の後ろに並んだ。強い雨粒を受けた傘を畳んでいると、、、

「帰りのバス一緒?」

前に立つ彼が、振り返ってそう尋ねてきた。

「はい、私もこれですね」

「あー、そうなんすね。せっかくなんでちょっと話します?」

そう聞いてきたタイミングで、バスが停車地点に止まった。最近は、のうのうと物事を考えることが多かったから、急に脳のリソースが割かれると、真っ当な判断ができない。

「はい、いいですよ」

冷静に解答したようで、私の心の中は焦っていた。だって、まともに人と会話するのなんか、最近では思い出せない。何から話すんだろう。準備しとかないと。

今日は少し早く終わったから、人は少なめだった。バスの一番後ろの席に腰をかけ、

「森田さんって、前何組やった?」

「前は…2組です。実は去年の秋に福岡から、ここにやって来た転校生なんです」

「あ!転校生の!てか同級生やから敬語なしでいいよ」

かなり楽しそうに話してくる、相手のテンションに合わせていたら良いかもしれない。

「あ、わかった。じゃあそれで」

「自分、生田剛っていうから、よろしくね」

「私は森田ひかるです、よろs」

「また敬語に戻ってる!」

彼はそう言いながら、よく笑っていた。きっと幸せな人生を過ごしてきたんだろう。

少しだけ窓を見ると、大きな雨粒で外の景色が見えにくくなっていた。夕立が予測できない未来は嫌いだ。

「転校生なぁ。やっぱ新しい環境ってどうなん?楽しい?」

何も楽しくない、気づけば勝手にこんな環境になっていたし、勝手に地球は回っていた。私の貴重な時間が奪われていくようで、腹立った時もあった。とか言うくせに、一人でいる時も時間を有効に使えていない。

「まぁ、ぼちぼちって感じかなって。でもそんなに社交的なタイプじゃないから、友人とかは作れていなくて」

「あー、部活とかは?」

「実はやってなくて」

「そっかぁ」

一つ間を空けて、こっちを振り向くと、

「まぁ俺は森田さんのことよくわかってないから、別に何を言うわけでもないけど、、、

まぁ、あれ。これからよろしくね」

相槌を打った私を横目に、私が降りる終点の一つ前で、彼は下車した。こんな私を快く受け入れてくれていたのか、はたまたいつもあんな感じで他人と接しているのか、よくわからない。でもたった一つ、確かなことがあるとするのならば、

少し、嬉しかった。

それだけの感情と、彼が渡してくれた傘を片手に、私は終点で降りた。

帰宅をした時に、持って帰ってきたものは、明らかに今朝登校した時より重くて、とてもじゃないけど、今の私ではこの変な感情を鎮火させることはできない。

もう今日は何も考えずボーッとして寝よう。起きればもう消えてることを願って。


次の登校日、いつもの通学しているバス。全く意識していなかったあの人が、もしかしたら乗ってくるんじゃないか?と気になってしまう自分がいた。一つ先のとこで降りとったような…なんてとこだっけ。


「次は、櫻坂前、櫻坂前」


運転手が鼻にかかったような声でそうアナウンスすると、私は出入り口を、左後ろの席から覗き込むように凝視した。長い列の後ろから二番目にいるあの人。名前は…生田さんだっけ?

バレないように目線を逸らし、携帯を触っているフリをした。ゆらゆらと歩く彼は、私の一つ前の席に座り込んだ。

一回話しただけなのに、変に意識してしまう。相手はなんも思ってないとわかっていても、意識してしまう。

「すいません、昨日貸してもらった傘返すね。ありがとうございました」

私はそう言い、ゆっくりと彼に借りた傘を手渡した。

三ツ坂高校の最寄りに到着し、あの初めて喋った時と同じ歩幅で、同じ距離感で離れていくのがわかってしまう。あの時と違うのは向かう方向が逆ってことと、天気が少し明るいってことだけ。

それでも、教室で授業が始めると、案外隣の彼のことは忘れることができた。こう見えても、自分の世界に入り込むことは得意で、授業中によく別のことを考えることが多い。大好きな鳥の名前を羅列したり、これから読む漫画を吟味したり、よく上の空になることがあった。

数学Aの時間、急に小テストが行われた。先生は「春休みで弁償した分の実力を測るぞ」と、得意気な顔で言っていたが、生徒を数字でしか評価できない人は好かない。いや、もちろんそれが正当なことはわかっているけど。内容はわからないまま、前年度に習ったであろう範囲の小テストを終えた。

「それでは隣の人と交換して答え合わせを行います」

急な自分の世界からの分離、ふと左隣を見ると、

「はい、森田さん」

「あ、どうも」

答え合わせはお互い酷いものだった。10点満点なのに、半分も合ってない。隣の彼も案外賢いようでそうじゃないみたい。そう思い少しだけニヤけていると、

「え、これ何?もしかしてゲームの?」

生田さんが私の小テストの解答用紙を返してくると、そこには私が消し忘れた好きなゲームのキャラクターの名前が薄っすらと残ってしまっていた。不真面目さがバレたと同時に、恥ずかしい気持ちも押し寄せてくる。

「あ!あぁ、そうそう。昔のハードが好きで」

適当に流しては見せたけど、きっと聞こえてしまってたんだろうな、この焦ってる感じ。

「森田さんゲーム好きなんだ、実は俺も結構好きで」

そう呟かれた瞬間、教室が静まり返った。

「次の昼休みに続き話そ」

小声で私にそっと語りかけてきた。その後の授業中はなんだろう、自分の世界に入っているようで、どこか気分はフワフワしていた。心はソワソワしているし、時間の経過も早く感じた、楽しみがあれば時間が進むのは遅く感じるはずだから、楽しみにしているわけじゃない。でもこの高揚感はなんなんだろう。その正体不明の謎を探っているうちに、チャイムが鳴り響いた。

ゆっくりと着席し、自分のお弁当箱を取り出すと、

「森田さん!さっきのゲームのキャラ見るに、もしかしてドンキー64やってた?」

「うんそう!親が持ってた64を借りてやってた」

「めっちゃコア…俺も結構64好きでさ」

私たち二人は、持参した昼食を教室の片隅で食べながら、周りの人がわからなさそうな話題で盛り上がっていた。もしかしたら、新学期のこのクラスで一番楽しんでいるまであるかもしれないぐらいには話がヒートアップしていた。ゲームという趣味が合う人は居ても、同じゲームでしかも流行りものじゃない作品っていうのは、そりゃ話せるものと思ってなかったから、余計に嬉しい気持ちになる。しかも偶然隣になった人で、帰り道が同じで、ちょっとしたシンパシーすらも感じた。その偶然の確率は、計算しても答えは出ない。

「地面下にあるメダルとか最近見つかったらしいな!」

「あのミニゲームめっちゃ難しかったんよね!」

「あいつめっちゃ茶目っ気あって可愛いよな!」

多分、今は周りのことが見えていない。お昼を食べ進むスピードも落ちている。ひたすら趣味を共有できるのが嬉しい。もしかしたら私は、この地の海に灰を浮かべた地獄という名の学校という混沌から抜け出したのかもしれない。

話に夢中になっていたら、もう次の授業まで5分を切っていた。


「あ、お昼早く食べないとね。それとどうする?今日も一緒に帰る?まだ話し足りないしさ」

生田さんのゲーム愛がそう発言させたんだろうな。私は、決まってすぐ返答した。

「うん、そうしよ」


その約束から、私たちは帰りを共にすることが多くなった。お互い帰宅部ってこともあって都合悪い日はないし、友人もあまり多くないみたい。結構いろんなこと話したな。もちろんゲームの話題は大半を占めてた。最近はSwitchのスマブラとか、PS4のApexにハマっているようで。あと学校の話題も多かった、一年の時どう過ごしたかとか、どの先生が好きだとか面倒だとか。あ、あれだ。性格のこともちょっとはわかった。案外シャイらしくて、私に手提げを持ってきてくれたあの日、かなり緊張してたみたい。彼とはかなり長い時間喋ったな。持つべきものは友って言葉があるけど、決して嘘じゃないのかもね。まぁ連絡先は、教わってないけど。

あれから一ヶ月、梅雨入りを予感させるように、少し足元の悪い日が続いていた。

「ひかる!最近、夕ご飯よく食べるようになったね!」

とある日の我が家の食卓、お母さんが何かに気づいたのか、私にそう笑顔で言った。

「あと、表情も柔らかくなったんじゃない?」

私は素っ気なく相槌を打ったが、そりゃそうだ。当たり前やん。混沌に飲まれていた期間が長かった分、抜け出した近頃。


私、盛り上がり中なんやもん!


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今日はえらく豪雨になっちまった、放課後は最近、森田さんと帰るんだけど、今日はバレー部の雪城愛華って子が用事があるって言うから、体育館近くのベンチに腰をかけていた。まぁ同じクラスの友人。というか、随分と土砂降りになったな。まぁ、あの日のように、森田さんは傘を忘れてなかったから安心した。そりゃあの時は夕立だったわけだし、仕方ない部分があるんだけど。

体育館からボールが叩きつけられる音が消えたと思ったら、もうスパイクを履き替えて、バレー部の皆がぞろぞろと正面出口から雪崩のように出てくる。気持ち、ウキウキした表情の子が多いな。最後尾に雪城の姿が見える、話だけ聞きにいくか。

「雪城、お疲れ様。どうしたの、用事って」

「あぁ、生田ー。実はね、保乃さんが来てくれるんだって!!」

「保乃さん?あぁ、あの有名なね」

まさか、それだけのために呼び出したのか?いや、まぁその先輩の名は田村保乃って言って、隣の國陵って高校の卒業生なんだけど、その國陵高校女子バレー部をインターハイに導いたエースで、かなりの美形でこの地域では噂になるぐらいの人物だからな。女子バレーの方では、うちらの三ツ坂高校と國陵高校は親密な関係だから、お隣のスター卒業生も、時々この学校に顔を覗かせているって話だ。案外、その田村って人に雪城は結構可愛がってもらっているらしい。俺は会ったことないけど、面識もない人と接するなんて得意なことじゃないし別に。なんか、森田さんとは喋ろうと積極的になれたけどな。

「どうせなら、生田もなんか言っとけば?結構人生相談とか乗ってくれるよ」

「なんも知らない人にそんなこと言えんわ」

体育館側にいる女子生徒の方から黄色い歓声が聞こえる。視線の先には、肩幅がしっかりとした子綺麗な女性がこっちに向かって歩いている。

「保乃さーーん!!」

「保乃先輩!!!!」

雪城も喜び勇んで駆け足で向かった。いや、俺が何しろって言うんだよ。

「みんなー、元気してたー?最近、大学忙しなって、来れんかってん、ごめんなぁ」

随分とイメージとは違う、おっとりとした感じなんだな。ガッツリ体育会系だと思い込んでたよ。

ちょっと耳を傾けていたが、スパイクのコツとか、プレースタイルがどうとか、試合本番をどう乗り切るかとか、バレーの話ばっかで、よくわかんなんねぇな。

「あー!愛華ちゃん!どう?調子はいい?」

「はい!保乃さんのおかげで、一つ一つ、技術が上達している気がします!!」

雪城が田村って人に頭を撫でられているのは目視できた。しっかし何を聞かされてんだろうな。

「そういえば保乃さんは、大学ではどうなんですか?」

そう質問したのは、雪城じゃない他の部員だった。

「あぁ、そうやな。実はイマイチやりがいを感じてないんよな。バレー推薦で入ったんはええねんけど、なんやろ。高校の頃とは少し違って、燃え尽き症候群ではないねんけど、どっか本当の熱意みたいなもんが燃え上がってこうへんのよな」

やはり、すごい人はすごい人なりに苦労してんだな。いや、逆にそういう人ほど、俺らみたいな平凡な奴らより厳しい道を歩いてきてると思うしな。

「でな、私、もっと新しく熱中できるもんが欲しくて…

夏にある、坂道合同オーディションっていうもんに応募してみようと思ってんねん!」

田村さんがそういうと、皆は拍手喝采だった。「必ずアイドルになれますよ!」だとか「夢、応援してます!」とか、あれだけ支えてくれる人たちがいたら、モチベーションにも繋がるんだろうな。知らねーけど、そんなオーディション、全く興味ねぇし。

今は。

そのあとは、また部活とかのこと話して解散してた。結局、田村さんとは話せず終いだったよ。当然、わかりきってたことだけど。つまらねぇ時間を過ごしたと思って、カバンを肩にかけたその時、雪城が駆け足でこっちに向かってきた。

「ごめーん、どうせやったから保乃さんとコミュニケ取ってもらおうと思ってたんだけど」

「いいよ、どうせなんも喋れないし。あんま知らない人のこと聞いても、相手に迷惑でしょ」

「ま、そっか。あ、実はね」

次はなんだよ、変に嫌な予感するけどな。

「最近、よく喋ってる子いるよね?同じクラスに」

ちょいとドキッとした。恐らく森田さんのこと言ってきてるんだろうし。

「あぁ、あの子な。それが何?」

「いや、生田ってあんまり、女性とか好きなタイプじゃなかったし、なんならさ、一緒に下校とかしてるじゃん?」

だったらなんなのさ。

「もしかして、あの子のこと好きなの??」

「いや、そんなんじゃない。そんなんじゃないから」

思わず食い気味で即答してしまった。実際、恋愛感情はなかったからな。

「そっか。まぁ生田が楽しそうでいいなって思うけど」

「うん。まぁ結構ええ子やしな。話はそれだけ?」

「ごめんね!また保乃さんが来た時にコンタクト取れるよう掛け合っとくね!」

「いや、それももういいから!」

きっと最後の言葉まで、あいつの耳には届いてないんだろう。雪城は駆け足で部員の群れに入っていった。森田さんのことを詳しく探ろうとしたんだろうか。軽くいなしてやったし、もう気にかけることもないだろう。

しかし、アイドルって夢はすげぇな。自分も大きな夢を持っていきたいよ。

ジメジメしてる、梅雨入りの嫌な季節。自分でも理解できない感情を、また少し曇らせてくるようで、若干、

うざったい。


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「あぁ、めっちゃ雨降っとる」

6月某日、早朝に自分の部屋のカーテンを開くと、時間が間違えてるんじゃないかと錯覚するほど、辺りは暗かった。と言うのも、私は寝ようと思えばずっと寝られる体質で、最長で27時間寝続けた過去があるから、もしかして寝過ごしたんじゃないかと思った。いや、親が起こしてくるだろうからそれはないけども。雨の日が本格的に増えてきて嫌気が差すなぁ。

いつものダイヤのバスに乗車し、いつもの後ろ端の座席に座ったけど、今日は生田さんの姿が見えない。一本ズレちゃったのかな。

軽快な足取りで教室のドアを開けると、今日の当番を横目で確認すると、

「私と、生田さん?」

そう呟くと、背後から誰かの足音が聞こえ、

「森田さんおはよ、今日は当番だったからちょっと早めに来て、朝の仕事を捌いてた」

「あ、ありがとう。当番一緒って、奇遇だね」

「特別何をするわけでもないんだけどね、今日はよろしく」

私は口角を少し上げ、小さく頷いた。とは言っても、本当に特別何をするでもなかった。いつも通り、かったるい授業を受けて、時にうとうとして、昼休みに生田さんと話しながらご飯食べて、外で学校生活を謳歌する生徒を見て頬杖ついて、そうしてたらもう帰りの時間になっていた。

「森田さん、後はクラスの教室の掃除が終わったら、確認して終わりだから、俺がやっとくよ」

「いやいい、最後まで付き合うよ」

私はこう見えても几帳面で、自分に任されたタスクがあると、最後までやらないと気が済まないタイプの人間で、自分でもそこは大事にしたい性格だと思っている。

帰りの挨拶を済まし、気だるそうに掃除をするクラスメイトを見ながら、少しだけ手伝っていた。あんまり綺麗にしたとは言えないけど、本人たちは「部活あるから」とか「先輩に呼ばれてるから」と何かしらの口実をつけて解散していった。なんでこうも不真面目なんだろう。

「確認おっけ、森田さんそっちは?」

そう言いながら、教室の鍵を持ってこっちに近づいてきた。私は一つ返事で、

「もうちょっと、綺麗にしない?」

そんな面倒なことも、文句ひとつ言わず、生田さんは付き合ってくれた。15分程度だったかな。グラウンドを見ればサッカー部が元気そうにランニングをしている。あれ、雨はもう上がったんだ。

何を思ったのか、私は雨粒が大量についた教室のガラス窓を、そっと左手で触れた。

「森田さん、こんぐらいにして帰ろっか」

「うん、そうだね」

反射してる自分の顔が見える、私、最近は自分の顔すらまともに見てなかった。なんか、前に見た時よりも、くっきりと見える。輪郭というか、形状が浮かび上がっている気がして。

「どうしたの、黄昏てる?」

私のすぐ後ろから、そう問いかけてきた。ううん、違う。自分の姿が、水滴に映されている。嘘がまるでない、自分の姿が。

「あ、付き合わせちゃってごめんね。帰ろっか」

私たちは教室から出て、鍵を閉めて渡り廊下を歩き、校門のすぐ側まで足を運んだ。

「今日は雨上がったね」

生田さんが、空を見上げてそう語りかけてくる。その次の瞬間やった。

「せっかく天気も落ち着いたんだし、ちょっと寄り道してかない?」

確かに緊張する音が私には聞こえた。あの時以来、このドキッとくる瞬間を体感してなかったから焦ってしまう。動揺したらあかん、そう。

「いいよ、遠回りとか?」

「んー、そんな変わんないと思うけど」

彼の歩く道を辿りながら、私は緊張がバレないように、少し俯いて歩幅を合わせていた。いつもの交差点の信号を渡るところ、今回は渡らずに、道外れの住宅街の方に向かった。

ほんの少しの距離を歩くと、そこにはブランコが二つ、鉄棒と小さな子供しか使えないような滑り台に、推定三人ぐらいしか座れないような木材のベンチが置いてある公園が見えてきた。何、この場末の公園、こんなとこあったんだ。

「生田さん、ここに来たかったの?」

「うん、意外と落ち着くよ。ここ」

生田さんはブランコについてある水滴を払い除け、ゆっくりと腰をかけた。

それにつられるように、私も同じように水滴を払い、少し冷たいブランコに手をかけ、ゆっくりと腰をかけた。

「俺、こっから見える景色がそこそこ好きでね」

「あ、そうなの」

私が右を振り向くと「そこそこ」と言った理由がわかるような、地味だけど、どこか静穏さを感じるような雰囲気の街並みがそこにはあった。

「あぁ、なんか好きなのわかるかも」

「でしょ、結構気に入ってんだよね、ここ」

そう会話しながら、少しずつブランコを漕ぎ始めた。実はブランコは子供の頃からちょいと得意だったし、結構好きだったから、童心に帰るような思いだった。

「結構、派手に漕ぐね、森田さん!」

そう彼がこっちを振り向き、微笑んでくるものだから、微笑み返してあげる。

「久しぶりやから、勢いが!」

「いやぁ、俺は漕ぐの自体がそんな好きじゃないからさ」

そう言って、彼は地に足をつけ、ブレーキをかけた。

「あ、森田さん!」

私も一旦スピードを殺し、彼の言葉に耳を傾けた。

「連絡先とか、交換しとく?何かと困らないし」

うん、当然、もう隠せない。自分でもわからないぐらいの笑顔だったのかな。

「いいよ!」

彼と連絡先を交換して、その公園を後にし、いつものバスで彼と別れた後に、LINEをすぐに開いた。

「ごう」って名前、アイコンはカービィ。ホーム画像は趣味のゲームから。一言は何もなくて、さっぱりしたプロフィールだった。

自分の部屋で、好きなポケモンのぬいぐるみとだらけていた時に、一通のLINEが届いた。

『今日はあんな辺鄙な公園まで付き合ってくれてありがとう!』

どうせなら、すぐ返信してしまおう。

『いいえ!知らないところやったけど、なんか落ち着いた笑 こちらこそありがとうー!』

『次はもっと栄えてるところを一緒に歩きたいね!』

え?これって何?遊びのお誘いなの?思い切って乗ってしまっていいのかな。

『そうだね、この近くでいいところある?』

『あるよ!櫻坂駅降りたら、ショッピングモールとか商店街とかあるし、少し足を伸ばしたらテーマパークとかも!』

『お!じゃあ明日に学校で決める?』

調子に乗って送っちゃった。私、取り乱してないかな。大丈夫かな。

『おっけそうしよ!んじゃまた明日ね、おやすみー』

『おやすみなさい!』

日が経つに連れ、私は表情が柔らかくなっているのがわかる。少なくとも、今学期が始まるまでの自分とは全く違う。あの人と会ってから、間違いなく変わった。いや、私自身が変わろうと思って変わったわけじゃないのはわかっている。でもひたすら、楽しいと思えるこの時間が、いつの間にか好きだった。

私は、あの公園での出来事を思い返しながら、ひんやりとしているようで、どこか温かみを感じるベッドに寝転び、眠りについた。

完全に閉め忘れたカーテンの隙間から漏れる日差し。いつもなら日光が目に刺さって気分が悪くなることも、そうは思わなくなっていった。早起きしたのも、いつ以来だろう。

一つだけため息をついて、今日の支度を済ます。もう制服に着替えて、あることないことを頭の中でめぐらせていた。

ベッドに腰を落とし、もう一度彼とのLINEを振り返っていた。間違いなく、遊びの誘いだ。どこに行くんだろう、あんまりアウトドア派じゃない私だったから、それも含めてワクワクしていた。

どれだけ早く起きても、家を出る時間は一緒。乗るバスは一緒。座る席も一緒。そしてチラッと見える彼の姿、少し振り向いて会釈するこの時間。決まって降りてからは、行動を一緒にすることなく、学校に着いたら挨拶をしてまた笑い合う。話したい誰かがいるって、それなりに幸せなんだと思った。

放課後のチャイムが鳴り響く、それは私にとっては、始まりの合図だった。

「生田くん、昨日の件について話さない?」

私は、カバンを背負うと同時に、彼にファーストコンタクトを取った。

「そうそう、とりあえず帰り道で決め合う?」

彼がそういうと、私は頷いて、同じ歩幅で下校を共にした。

「森田さんって、どういうとこ好きなん?ほら、アクティビティが好きな子もいればさ、ゆったりしたい子もおるやんか。だからお互いの趣向を見合って決めた方がええかなって」

「そうねー、私は結構インドア派なんやけど、外に出る機会が少なかったから、久しぶりに外出て何かしら観光というか、遊びを満喫したいとは思ってるけど」

「なるほどね。じゃあ遊園地とか水族館とか、映画館とかショッピングモールとか、数あるけど、正直どこでも問題はないって感じ?」

「うん。でもあれだね、梅雨の時期だし屋外はちょっと面倒になるかもねー」

「なるほどね、あ!ゲーム好きやったやん?」

目を見開いてこっちを向いてきた。凄くテンションが上がったのが伝わってくる。

「ゲームをやる日と、外で遊ぶ日の二つ欲しいなって」

「あぁいいじゃん!じゃあ二日間ってこと?」

「そうそう!ちょうど今日金曜やし、明日と明後日とかどう?」

運命すらも味方、周りに生徒がいることなんて、その時の私は考えることもなかった。

「そうしよ!」

彼は今ちょうど、両親が旅行に出ているらしく、家に一人らしいから、生田さんの家でゲームを楽しむことになった。二日目のことだけど、明日遊ぶ時に決めることになった。その辺りの目の前にあることを楽しんで、次工程を先延ばしにしちゃう感じ、ちょっと似てるとこなのかもしれない。

家に帰ってからは相変わらずソワソワしていた、久しぶりにタンスにある洋服を取り揃えて、何がいいか吟味した。持っていくゲームも、好きなものから、意外とハマりそうなものまで、全部引き出しから持ってきた。明日と明後日の二日間は、きっといい日になる。そう思い、夜中にLINEを覗くと一通のメッセージが届いていた。

『明日、何時から来る?』

私はここまで楽しみにしていることは、あまりバレたくない。なんなら間を置いて返してもいい。けど、考えるより、先に手先が動く。感情をコントロールできないって、こういうことなんだって。

『お昼ご飯食べてからいくから、13時とかにしよ!』

『オッケー!着きそうな時間に連絡くれたら、ロビー降りとくな!』

私にとって楽しみで仕方ない二日間が、これから迎えようとしとる。早く寝てコンディションを整えていくか、逆に遅く寝て、起きたらもう時間が来そうなラインで、待つ時間を消費させるか。そんなつまらない考え事をしながら、隣で寝付くポッチャマのぬいぐるみを抱いて眠りについた。

パッと目が覚めた、ヤバい。いつも休みの日はお母さんは起こしてくれないから、ちゃんと起きられたか不安になる。そういえば、タイマーする前に寝込んじゃった。慌てて時計を確認しようとしたけど、カーテンを見ると薄暗く、まだ陽は射していなかった。

「夜明け頃か、、」

そう小さく呟いた私は、手元にある携帯を覗き見た。

少しスマホを触っていると、頭が起きちゃって寝られなくなってくる。いやこのまま起きておくのはまずい、早く寝ないと。そう思って最後の動画を閉じようとしたら、画面下部に一つの広告が出てきた。

『坂道合同オーディション』

私の大好きなアイドルの、追加メンバーをこの夏に募集するといったものだった。少し気になった私は、その詳細を調べていた。応募条件は整っていて、期限もこれからだから、できなくもない。

いや、今はいい。とにかく明日のことを考えないと、いや実質は今日のことだけど。


時刻にして、お昼の12時46分頃、私は生田さんのバス最寄りである櫻坂前で下車し、彼に連絡を送った。

「そろそろ着きそう!」

物事が計画通りに進むと、その後にしわ寄せが来るような気もする。多分、想定外のことも起こりうる。でも今日は、間違いなく勝てる要因しかない。そう信じて疑わず、私は彼の住むマンションのロビーで一人立ち尽くしていた。

エレベーターが降りて来るのがわかる。三階から二階、一階そしてロビーと。確かに見覚えのある等身が、小走りでこちらへ向かってくると、、

「ごめん、待たせた?」

「ううん。全然」

遊ぶ時に会うのは初めてだったけど、どうも学校でいつも話してるのとは明らかに違っていた。なんやろ、妙な緊張感があるというか、私服とかラフで制服着てる時とは別人のようで。生田さんの目には、今の私はどう映ってるんだろう。

一歩ずつ、彼の家の玄関に近づいていく。緊張は、うん、それなりにしている方。基本的に舞台での緊張とかはしない方なんだけど、今日は流石にドキドキしていた。

「はい、どうぞ」

彼がそう言うと、私はゆっくりと迎い入れられた。

「お邪魔します」

丁寧に廊下を歩き、リビングが見えてくる。

まぁ、拍子抜けというには少し違うけど、至って普通なマンション宅って感じで、私と遊ぶために用意してあるゲーム機と、まっさらで大きなテーブルがある、本当にシンプルなお家。当たり前だけど。

「森田さんそこ座ってええよ」

そう言われ、私は一人用の小さな椅子に腰をかけた。人の家に遊びにいくことも少なかったから、イマイチどういうムーブをすればいいかわからない。なるようにしかならないけども。

「お昼食べてきたんやんな?」

「あぁうん。だから準備万端!」

「っしゃ、何やる?」

私は持ってきたゲーム機やカセットを全て出し、彼と今日何をして遊ぶかを吟味した。対戦ゲームがいいとか、協力ゲームがいいとか、魅せプ目的で一人用のもいいとか。結局この日にやることになったのは、64のマリオパーティ、SwitchのスマブラSP、そしてヒューマンフォールフラットだった。

ゲームをするたびに、私はいつも童心に返る。若返っては、ゲラのツボが普段よりも浅くなって、子供のように笑っていられる。今日は少し緊張していたけど、その多くの不安要素が吹っ飛ぶほど、ゲームは良い薬になった。彼をいい意味で意識しなくなったし、お互いのゲーム理解度も似たようなものだったから、熱に乖離もなく。ただひたすら、つまらないことで笑っては、ときに真剣にやり込んで喜んでは、少しムキになって争っては。戻れた気がする。心だけじゃなくて、私自身も、関西にする前の素直な自分に、近づいた気がして、、

「いや、森田さんゲームかなり上手いねんな。もっとこう、圧勝というか、余裕持ってやれると思ってたからビビってる」

「アウトドアよりインドアで、どうしても一人時間が多かったから。あ、もう一回だけ団体戦やろ!キャラは自持ちの5キャラで!」

「俺は、、キングクルールとセフィロスと..師と...」

ずっとこの調子で、時間も忘れていたかな。ちょっとムキになってしまったり、勝ち負けに一喜一憂したり、ちょっと煽り合ったりして。私たちは一区切りした後に、少しブレイクタイムを取ることになり、お茶を片手に大きなリビングのテーブルに頬杖をつきながら喋る。

「もう18時やな。めっちゃ時間忘れてゲームしとったな」

「久しぶりにオフで対人したから、ちょっと熱くなっちゃった」

「明日結局どうする?外に出るって話、場所決めてなかったよね」

「あー」

少し、考え込んでしまった。私はインドア派なものだから、外に出るのにイマイチ慣れてなくて、行きたい場所とか、どこ行ったら楽しいとか、全然わからなくなってしまう。彼にうまく合わせながら、吟味するのがいいのだろうか。

「私はそうだな、、最近行けてないというか、どうせなら楽しみたい気持ちはあるけど。生田さんがオススメのスポットなら、全然どこでも大丈夫」

「んー。テーマパークとかは安定に面白いとは思うけど」

「全然いいよ!お金とかも気にしないで。せっかくだし、そこ行こ」

テーマパーク、かぁ、、ぼんやりと考えてはみたけど、ちょっとデート気分すぎるような気もする。水族館とか、図書館とか、落ち着いたムードで過ごすのを提案しても良かったかな。でも、どうせならついて行こう。

「っし。じゃあ決まり。時間とかは、また今日の夜に連絡するな」

そう適当に決定された明日のコース、そしてまた詳細を先延ばしにした私たち。そんなことは気にせず、また大きなテレビの前に座り、ゲームを再開した。

後半戦は、かなり勝率が良く、操作精度も極まっていた。実は、昔から一つ、自分の習性で気づいていたことがある。私は空腹度がある一定ラインを越えると、頭が冴えるということ。この日のこの時間はちょうど、お腹が空き始め、脳が活性化されキレが出始める頃だとなんとなくわかっていた。みんながわかっている言葉でいうと、ゾーンに入るっていうやつ。

「ちょっと待って、森田さんなんか休憩してから強ない?人変わったみたい」

彼を驚かせてしまうほど、プレイングがバチバチだったらしい。結局、20時までゲームや雑談で時間を潰した私たちは、ドッグに刺さっているゲーム機本体を抜き出し、

「つかれたー。もう時間やな。そろそろ終わろっか」

「いやぁ。めっちゃ時間経つの早かったねー」

「森田さんが後一回!とか言ってずっとやってっから!」

「生田さんやって、次ラスト!って何回言ったか覚えとらんもん!」

ヤバい。つい方言が出てしまった。不意に出たものだから、少し頬を赤らめてしまう。

「あ、森田さんって九州から来たって言っとったな。今の訛りというか、そっちの方の?」

「あぁうん。ゲーム中出てなかったかな」

彼の返答はノーだった。というか、そんなのイマイチ覚えてないか。私が記憶にないんだし。恥ずかし損した気分。そんなことより、そろそろ帰らなきゃ、両親に何言われるかわからない。

「今日はありがとう。また明日のことはLINEでね」

私はそう言いながら、持ち込んだゲーム機や付属品をバッグに詰め込み、帰る支度をしていた。

「こちらこそ。時間とか集合場所考えとくな」

彼のその一言を聞き、ゆっくりと廊下を歩く。左手のドアが開いていたから、チラッと部屋の様子が見えてしまった。あれ、ポスター?アイドル?え、そんな趣味聞いてない。

「あっ、生田さんってアイドル好きなの?」

「あ!そうそう、言ってなかったっけ。今は欅坂が好きでね」

「私もアイドル好きだよ!!」

目を見開いて彼の顔をガン見してしまった。私は、アイドルになりたい憧れを持つと同時に、同じく欅坂46が大好きだった。こんなこと黙っとくなんてもったいない。私が1番熱く話せる話題なんだから。

「え!!そうやったん!?推しは?あー、この話明日にしよか。アトラクションの待ち時間とかに回さん?今日はちょっと遅いし、語り出すと止まらんくなりそうやん」

私はニヤつきを隠せず、

「うん、そうしよっか」

そう言葉を残して、彼の家を後にした。近くのバス停まで見送ってくれて、ようやくお別れといった流れに。友達と真面目に遊んだの、いつ以来だろう。それにしても笑ったなぁ。ふざけ合えたなぁ。なんて思いながら、バスの一番後ろの座席で、下を向きながら今日の出来事を振り返っていた。明日はもっといい日になるかなぁとか、今日は初めてだから硬かったけど、いい雪解けになったからもっと盛り上がるかなぁとか。こんな些細なことを考えながら、私は楽しみを抑えるように、唇をしかめた。

窓ガラスに反射される自分を見つめた後、ふと光沢がある銀色の取っ手を眺めた。そこに映っている自分と、今窓ガラスに映っていた自分は、同じ顔をしていたんだろうか。同じ表情だったろうか。同じ心情で見つめていただろうか。わからなかったことが、わかり始める喜びと、知りたくなかったことが、知られた楽しさと、自分でも気づくはずのなかった感情が交差している今。

彼への想いも、私自身の情緒も、あの人がどう思っているかも、交わらないから永遠なのかな。
知らない罪と、知りすぎる罠。その境目に今、私たちは立ち止まっている。
ボーダレスがあるうちに、見つけないといけない。盲目になる前に。

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